「短ければ短いほうがいいよね」夜の神楽坂で盛り上がった女優・南沢奈央 珍しい衝動にかられ、手にした一冊は?
短く、深く
短ければ短いほうがいいよね、と頷き合った。それは神楽坂での夜。わたしは小唄の会に参加していた。 小唄とは、江戸時代から伝わる三味線音楽。爪弾きでの演奏、歌詞が1番しかなく、1曲2分前後と短いのが特徴だ。知り合いに誘われてわたしは2カ月ほど前から小唄の稽古に通っているのだが、先生が会を開くということでその知り合いと一緒に伺った。 定期的に行われているこの小唄の会は、毎回その時季に合わせた小唄を数曲選び、語りで解説を加えながら演奏していくという趣向になっている。そのため1時間通して聴くと、それぞれ単体だった短い小唄が、鑑賞者の頭のなかで繋がっていくので、一つの物語を見たような感覚になった。「選曲をするときは、DJの気分」と、先生は意外な表現を使っていたが、まさにその通り、曲の流れが見事だった。 その日は、隅田川の花火大会の喧騒から始まり、そこでひっそり結ばれる縁、船のなかでの逢瀬、簾の向こうから漏れ聞こえる声、月明かり……と徐々に、賑やかで暑い夏から、川風の涼しさを感じさせ、切なさや静けさがある秋へと移ろっていく様子を7曲で味わった。 我々が小唄を習っているからだろう、技術的な説明もしてくれて、「これは短いからこそ、とても難しい曲です」とおっしゃっていたのが、「忍ぶ夜は」という一曲。おそらく1分もなかったとても短い曲で、歌詞はこんな感じだ。 〈忍ぶ夜はあちら向かんせお月さん たまの御見じゃにな 辛気らし〉 たったこれだけなのである。「忍ぶ」とは人目を避ける、「御見」は江戸時代、主に遊女が使った言葉で、お目にかかるという意。「辛気」とは、じれったい、ということ。 これは、ある月夜に遊女が久しぶりに会う男が来るのを待っている様子を描いている、と解説されることが多いのだそう。だが先生はあえて、男女とせずに“ある二人”と可能性を広げてもいいのではないか、と話された。そこから知り合いも、「じれったい」と言っているからだれかを待っているかのようだけど、もうすでに会った後のようにも読めるよね、と話が展開し、どう感じ取ったか、どんな景色が見えたか、それぞれの感想で盛り上がった。 正解はないのでそれぞれの解釈や想像にお任せしますと、先生はやさしく締めた。そうして帰り際、知り合いと言い合った。小唄って短ければ短いほうがなんかいいよね、俳句みたいに。