かぐや姫のおかげで老後が安泰に!「老人と子供」の昔話が示唆する「つらすぎる真実」
「老いたくない」思いの強さ
『竹取物語』を、見てみよう。平安初期の成立と考えられているこのお話は、紫式部も「物語の出で来はじめの祖(おや)」と書いたように、日本の最初期の物語の一つである。 竹の中から発見され、翁(おきな)と嫗(おうな)に大切に育まれたかぐや姫は絶世の美女に成長し、多くの男性から求婚される。しかしそんな男性達に姫は無理難題を言い渡し、決して結婚しようとはしない。 やがては帝までもが、かぐや姫に求婚。二人は文のやりとりをするものの、姫は月に戻っていってしまう。……ということで、「物語の出で来はじめの祖」はかなりぶっ飛んだSFなのだが、同時にこれは、老いを考えさせる物語でもある。 月からやって来たかぐや姫は、 「月の都の人はとても美しく、老いることがありません」 と言う。しかしいざ月に帰る時が来ると、姫は悲嘆に暮れる。生病老死といった苦しみとともに生きている、地球人。そんな地球で暮らすうちに彼女の中には情が芽生えたのであり、老い衰えたおじいさん、おばあさんと共にいられないことがつらいのだ。 この物語は、当時から、人々がいかに「老い」を厭(いと)うていたかを伝えている。「老いたくない」という人間の思いが強かったからこそ、『竹取物語』の作者は、空の彼方の理想郷である月の人は老いない、という設定にしたのだろう。 結局、かぐや姫は月に戻っていったが、実はおじいさんとおばあさんには、かぐや姫と共にもたらされていたものがあった。竹の中からかぐや姫を発見して以降、おじいさんは、節と節の間に砂金が詰まった竹を何度も発見する。きっと月からもたらされた、かぐや姫の養育費だったのだろうが、老夫婦はその結果、すっかりお金持ちになっていたのだ。 姫は去ってしまったけれど、おじいさんとおばあさんには経済的な豊かさがもたらされていたので、老後は安泰。このように、おじいさんおばあさんが子供を得ると、老夫婦の余生は保証されがちなのだ。 とはいえそれは、物語の中だけの、夢のような話である。現実には、子供がいようといまいと、高齢になるにつれて苦境に立たされる人が多かったからこそ、物語にはレアケースとしての幸せな老人が描かれたのではないか。 * 酒井順子『老いを読む 老いを書く』(講談社現代新書)は、「老後資金」「定年クライシス」「人生百年」「一人暮らし」「移住」などさまざまな角度から、老後の不安や欲望を詰め込んだ「老い本」を鮮やかに読み解いていきます。 先人・達人は老境をいかに乗り切ったか?
酒井 順子