女子テニス界きっての“ハッピーガール”を育て上げた、「アキコ」と呼ばれる母親の存在と教え<SMASH>
「長いシーズンの、最後の大会が大阪だった。全く自分に期待しておらず、『とにかくベストを尽くそう』と自分に言い聞かせた」 その無欲さが、好結果を呼び込んだだろうか。彼女はシングルスのみならず、伊達公子と組んだダブルスでも決勝進出。シングルス決勝で3時間超えの死闘を制したワトソンは、“24年ぶりにツアー優勝した英国人女性選手”となった。 彼女が開いた扉にはその後、オーストラリアからの移民のヨハンナ・コンタや、中国人の母とルーマニア人の父を持つエマ・ラドゥカヌらが続き、新たな英国テニス史を書き加えていった。 「色んなルーツや背景を持つ人が活躍し、テニスに一層の多様性が見られるのはすごく良いこと」と優しく微笑むワトソンは、32歳を迎えた今、テニスができる幸運に一層深く感謝しているという。 「今年の目標はパリオリンピックに出ることだったので、それが叶ったのはうれしかった。今は、全ての瞬間を大切にし、楽しもうと思っている。だってこの時間は、永遠に続くわけではないのだから。 この人生を送れていることをうれしく思うし、機会を与えてくれた両親には本当に感謝している。そして、テニスがわたしにもたらしてくれた、全てのことにも。本当に、自分は恵まれていると感じている」 幾度も幾度も繰り返し、自身を「幸運」と表するツアーきっての、“ハッピーガール”。そのルーツをたどった時、小さいながらも温かく確かな、日本との縁がある。 現地取材・文●内田暁