女子テニス界きっての“ハッピーガール”を育て上げた、「アキコ」と呼ばれる母親の存在と教え<SMASH>
「ガーンジー島は、家族で暮らすには最高の場所なの!」と、ワトソンは母親に良く似た人懐っこい笑みを広げた。彼女が、選手間で「ツアーきってのハッピーガール」と呼ばれる理由は、その笑顔を見れば説明不要。見る者も幸福な気持ちにさせる表情で、彼女は幼少期の思い出を紡いでいった。 「ガーンジー島は平和で、住民たちは仲が良く、島そのものが一つの大きなコミュニティみたいな感じ。自然に囲まれていて、みんなで誘い合っては自転車を漕ぎ、山に遊びに行った。わたしの幼少期は、パーフェクト! 本当にラッキーだったと思う」 ワトソンがテニスを始めたのも、ガーンジー島での幼い日。「両親を結び付けたスポーツ」をするのは彼女にとって、あまりに自然なことだった。 そんな「大好き」な故郷の島を、彼女は12歳の時に後にする。娘に、より良いテニスの環境を与えたいと願った両親が、米国フロリダ州のIMGアカデミーに行くことを勧めてくれたからだ。 ただテニス留学をするにあたり、両親が出した条件があった。それは、「一般の学校に通うこと」である。 母国では貴重だった高等教育を受け、新天地へと渡る機会も得たアキコさんは、娘にも教育の大切さを伝えてきたという。そして娘のワトソンも、「親の方針に、本当に感謝している」と言った。 「わたしは、学校が大好きだった。単に勉強できただけでなく、友だちがたくさんできた。社会性を身に付けられたのもありがたいし、色んな経験や感情を共有できる、素晴らしい人たちがわたしの周囲にはいた。本当に自分は恵まれている」 友人に囲まれた充実の学生生活を送り、同時に「両親の尽力や応援に応えたい」の思いを熱源に、テニスに打ち込んだ十代の日々。そんな彼女のツアー初優勝が、日本で訪れたのも、何かの巡り合わせだろうか。 それは2012年10月、大阪市開催の「HPオープン」。同年開催のロンドンオリンピックで母国の旗を背負った当時の20歳は、「あの時は、心身ともに疲れていた」と回想した。