最高裁裁判官の国民審査は“すごく役に立ってきた”…「在外日本人国民審査権訴訟」で“違憲判決”を導いた弁護士が語る「1票の威力」とは
どうしても判断できなければ「棄権」の選択肢も
吉田弁護士は、どうしても関心が持てず、判断もできなければ「棄権」する選択も考えられるという。 吉田弁護士:「今のしくみでは、投票会場で自動的に国民投票の投票用紙を手渡されます。 『判断できないから』といって何も記入せずに投票箱に入れたら、棄権ではなく、すべての裁判官に信任票を投じたと扱われます。 しかし、この場合、考えたことと投票結果とがずれてしまっています。それならば棄権するという道があってもいいと考えます。 たとえば、100票のうち『×』が5票、それ以外が95票だとすると不信任率は5%です。 しかし、『×』でない95票のうち50票が『判断できないし信任するつもりもないが、投票用紙を渡されたから何も書かずに投票した』という人の票だった場合、その人が全員『棄権』したら、『×』が5票、それ以外が45票ということになり、不信任率は10%ということになります(【図表2】参照)。 そのほうが、数字の上で民意がより正しく反映されます。したがって、どうしても判断がつかないならば、棄権することも立派な選択肢だと思います。 棄権の方法は投票所によって違いが多少あります。棄権する人のための箱が用意されているところがあります。棄権すると宣言して投票用紙を返すやり方のところもあります」
国民審査と国会議員選挙は「クルマの両輪」
最後に、吉田弁護士は、最高裁判所裁判官の国民審査と国会議員選挙の関係を「クルマの両輪」にたとえて、その大切な意義を強調した。 吉田弁護士:「国政選挙で選ばれた国会議員が法律を作り、その法律を裁判所がどういう意味なのか解釈して適用するという関係があります。 最高裁判所は『法律が憲法違反だから無効だ』と判決を下すこともできます。 つまり、国会議員を選ぶだけでは法律は完成せず、裁判所で完成するということです。国会議員だけでなく、最高裁の裁判官も適切な人でなければ、社会はうまくいきません。 民主主義、国民主権原理で大切なのは、結果ではなく、その過程で生まれる『対話』です。 国民審査についても、どんな訴訟が起きているのか、どんな裁判官がいるのかを知り、考え、周りの人と対話する。その輪が広がっていくことが大切だと考えます。 『自分の票は1票だけだから意味がない』ということはありません。自分の考え方を人に話せばその1票が2票になり、その人がまたさらに誰かに話せば 3票になり…という風に広がっていく可能性があります。自分の1票があっという間に100票、200票になりうるのです。私も1000票くらい稼いでいると思います(笑)」 吉田弁護士が原告代理人をつとめた「在外日本人国民審査訴訟」で、国側は「国民審査という制度は必要不可欠のものではない」と主張した。これに対し、吉田弁護士は最高裁大法廷での弁論で、15名の裁判官全員に対し、以下のように語りかけた。 「今ここにいる皆さんは、国民の正式な信任を得ていません。誰一人として、憲法の定める通りの任命手続を経ていません。海外に暮らす人たちが、皆さんの任命について、それが正しかったかどうかについて判断し、意思表示する、国民審査の投票をしていないからです」 (木下 昌彦教授(神戸大学大学院法学研究科)のブログより引用) 続けて吉田弁護士は、国民審査の制度が国民にとっていかに重要な意義をもつか、身近な例も挙げながら語った。その弁論は最高裁の裁判官たちの心を動かし、15人全員一致の画期的な違憲判決を導く原動力になったと評価されている。 国民審査の制度は、憲法に定められている制度であるにもかかわらず、これまで大きな関心を集めることはなかった。また、現行の投票ルールのあり方についての問題点が指摘されることもある。 しかし、吉田弁護士が指摘するように、考えようによっては、私たち国民一人ひとりにとって非常に役に立つツールとなりうる制度かもしれない。10月27日の投票日までにはまだ「考える時間」がある。この制度を有効活用できるかは、私たち自身にかかっている。
弁護士JP編集部