【図解】沖縄返還50年 戦後からこれまでを振り返る 坂東太郎のよく分かる時事用語
いまだ影を落とす米軍基地問題
そして、沖縄復帰後も変わらないのが、米軍基地の存在です。全国の米軍専用施設の面積に占める沖縄県の割合は、1972年の返還時は約59%でしたが、本土の基地整理・縮小が進んだため、2002(令和2)年時点では約70%に増えています。 基地内の軍人・軍属からの被害と反発の例としては、1970(昭和45)年の「コザ騒動」がよく知られています。コザ市(現在の沖縄市)で米兵の車が住民をはねた交通事故がきっかけで、反発した住民に米軍が威嚇発砲したことで群衆が過激化。当時「暴動」とも呼ばれるほどの騒擾(そうじょう)へと発展しました。 1996年1月発行の『沖縄から「日本の主権」を問う』(沖縄問題編集委員会編)によると、米軍人・軍属の無法がいかに常態化していたかが、具体的な事例より生々しく伝わります。その頂点ともいうべき大事件が1995年に発生した米兵3人による女子小学生暴行事件でした。
「普天間合意」からも4半世紀以上
この事件は、あまりにも非人道的で県民の怒りが爆発。憂慮した日米両政府が翌1996(平成8)年4月、市街地にあって危険性がとりわけ高いと指摘されていた普天間飛行場(宜野湾市)の全面返還で合意しました。1999年12月に代替施設を名護市辺野古に設置すると閣議決定し、2002年7月には沖合を埋め立てて滑走路を造るという条件で政府・沖縄県・名護市が合意しました。 2009年には、夏の衆院選で民主党の鳩山由紀夫代表が「最低でも県外」と約束して大勝し、首相に就任しますが、翌2010年5月にこの方針の撤回を発表。普天間飛行場の移設先は「やはり辺野古」(=県内)に戻ってしまいました。 2014年の知事選以降は、「辺野古に新基地は造らせない」と公約する候補が勝利し、同年の衆院選では4つある小選挙区すべてを反対派が独占します。しかし2017年は3選挙区、2021年は2選挙区での勝利と陰りもみえている状態です。
---------------------------------------- ■坂東太郎(ばんどう・たろう) 毎日新聞記者などを経て、日本ニュース時事能力検定協会監事、十文字学園女子大学非常勤講師を務める。著書に『マスコミの秘密』『時事問題の裏技』『ニュースの歴史学』など