若者の社会運動、注目されると「実力不足を感じる」 教育、地域おこし…アクションする大学生の本音
大学生になり、動きやすくなった
――大人が「若者性」に着目しすぎていると感じることはありますか。 章さん:価値観を押しつけるといいものが生まれないとわかっている大人が増えていると感じます。 大学生になってから、23歳以下の若者が集まり議論する場「U-23サミット」の代表をしましたが、「基本的に内容は参加者の自由にする」と約束してくれる企業に協賛してもらいました。 企業側も、若者と価値観をすりあわせる方が効果的に関係を築けることがわかってきてくれているような気がします。 古井さん:高校生のときは、大人と話すときには制服だったし「お前に何ができるんだ」という見られ方をしていた気がします。 ですが、これまでやってきたことも含め、ある程度の肩書を得たことで信頼される要素を得られた。そうなると、「もうそろそろ自分に正直になってもいいかな」という気持ちになりました。
若さに注目されると焦りを感じる
――「若さ」に注目されることはどう思っていますか?「そこじゃないんだけどな」という気持ちになったりしませんか? 古井さん:若さに注目されると、実力不足を感じてしまう。「どこがすごいと思っているんですか?」と逆に聞きたくなります。 章さん:高校生の時の活動は、私も焦りを感じていました。 若さというのはいずれなくなります。これがなくなったら何が残るんだろうと思っていました。 自分を含め、多くの高校生や大学生の活動は「若いのにすごいね」と言われます。しかし本来は、若さではない「すごい」要素があるはず。「若いのにすごい」というのはシンプルにまとめられすぎていると感じます。 古井さん:「若いのにすごい」っていわれるときの「すごい」は、振り返ってみると、当事者目線の課題に気づいていたり、企業が事業化できていないところを見つけたりしていることだと思います。 形骸化された誉め言葉ではなく、「すごい」を細分化して言語化することが必要だと思います。 平井さん:「若いのにすごいね」は、過去の自分との比較なんじゃないでしょうか。 私は二人より少しだけ年上で、高校時代はサッカーばかりやっていました。そんな私から二人をみると、やっぱりすごいと思う。「高校生のときの自分はこうだったけど、この人は高校生でもうこんなことをやっているのか」という気持ちです。 ただ、それを「若いから」とまとめるのではなく、細分化してどこがすごいのかを伝えられるといいんですね。