若者の社会運動、注目されると「実力不足を感じる」 教育、地域おこし…アクションする大学生の本音
若い世代が社会課題にアクションを起こしたとき、大人に比べて注目されやすい状況はないでしょうか。社会学者の富永京子さんは、社会運動で重要な「革新性」よりも、運動をする人の「若さ」に価値が置かれがちだと指摘します。学生の頃から社会課題の解決に取り組んできた3人に、「若者と運動」について考えてみてもらいました。(withnews編集部・金澤ひかり) 【画像】昭和の学生運動「全共闘」ってどんな雰囲気
求められる姿でいるのは合理的だけど…
【参加者】 早稲田大学2年・古井茉香(ふるい・まのか)さん…高校1年生のとき、都市部と地方の教育格差の解消を訴える学生団体を立ち上げ。現在は地元・青森県の地域おこしにも注力。 慶応義塾大学2年・章子昱(しょう・こいく)さん…高校で生徒会長を務め、コロナ禍で「全国オンライン学生祭」を開催するなど、メディアに取り上げられた活動多数。現在は若者向けテレビ番組にも出演。 関西大学4年・平井登威(ひらい・とうい)さん…精神疾患の親を持つ子ども支援のNPOを立ち上げ活動。自身も当事者としての経験を行政やメディアに向けて発信している。 【こちらのインタビューを読んでから話をしてもらいました】 若者の社会運動、ほめそやす年長者 革新性ではなく「若さ」拾う思考:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASS197SJFRDVULLI001.html ◇ ――富永さんはインタビューで、若者が社会運動をしたときに、その「若者性」に注目したり、その注目を大人自身の主義主張のために体よく使ったりしているのではないかと語られていました。 平井さん:若者を応援した方が社会的に評価されるということは、いまの社会の流れでは当たり前かなと感じます。一方で、大人から応援されるときに「同志」もしくは「社会を変えていく仲間」という見られ方はしていないように思います。 でも、経験が少なく、知識も少ない僕たちの方が、「同志」と見られないのは仕方ないことなのかもしれません。 そういった状況の中で、逆に若者世代が「若いから取り上げられやすい」風潮を利用して、大人から評価された方が合理的な場合があるというのはあります。 そのときのジレンマは、若さを利用しやすいからこそ自分を含め若者は闘わないな、ということです。求められる姿でいることが合理的だからこそ、闘わず、若さをいいように利用してしまっているのかもしれません。それによって、自分たちの知見のなさをごまかしているようにも感じる。 ――富永さんは、メディアに取り上げられる運動に取り組む若者を研究する、トッド・ギトリンという研究者を紹介していました。「メディアに繰り返し取材されるたびに、若い活動家がメディアの考える『若者活動家』らしい振る舞いをするようになるというものなんです」 古井さん:非常に共感します。 平井さんの発言に併せて思ったのは、「合理的にリソースを獲得するために戦略をとる」ということです。 「こう見せたら取り上げられやすくなるだろうな」の中に「若者っぽさ」を取り入れて考えることもあります。 本来は、プログラムの「本質」を訴えるべきだけど、甘えの行動をしている自覚があります。 見せ方という点で、いま悩んでいることがあります。 高校生の時、教育格差の解消を訴えた学生団体を立ち上げ、複数のメディアに取り上げられて「よいしょ」され続けました。「高校生なのにすごいね」と言われて気持ちよくなってしまったんです。 その結果、メディアでみせる「外枠」の部分と、自分が団体立ち上げ当初に考えていたこととの整理がつかなくなってしまいました。最近になって、ようやく少しずつ大切にしたいものが戻ってきた感覚はありますが、もう一度心の整理をしないといけないと思っています。