「日本はロシアの属国」「日本には奴隷制がある」…19世紀のイギリス人が、日本に抱いていた「驚きのイメージ」
19世紀の日本、その「驚きの姿」
日本はいったい、世界のなかでどのような立ち位置を占めているのか。 世界情勢が混乱するなか、こうした問題について考える機会が増えた人も多いかもしれません。 【写真】イザベラ・バードは、こんな顔をしていた…! 日本が世界に占める位置を、歴史的な視点をもって考えるうえで非常に役に立つのが、『イザベラ・バードの日本紀行』という本です。 イザベラ・バードは、1831年生まれのイギリス人。オーストラリアや朝鮮などさまざまな国を旅し、旅行作家となりました。 彼女は1878年、47歳のときに日本を訪れています。北海道をはじめ、いくつかの土地を旅しますが、その様子をあざやかにつづったのが、この『イザベラ・バードの日本紀行』なのです。 19世紀の後半、日本はどのような姿をしていたのか、それはイギリスという「文明国」「先進国」からやってきた女性の目にはどのように映ったのか、そこからは、明治日本とイギリスのどのような関係が見えるのか……本書はさまざまなことをおしえてくれます。 たとえば、本書の「序章」で、彼女は同時代のイギリス人が日本にたいしてどのようなイメージ、あるいは偏見をもっているのかを指摘しつつ、実際には日本はそのような国ではないと言います。興味深いのは、その「イメージ」「偏見」の中身。そこからは、19世紀後半の日英関係の一端が垣間見えます。 本書より引用します(読みやすさのため、改行を編集しています)。 〈「ハリー・パークス卿は日本の総督でいらっしゃるの?」と尋ねたのはある将官夫人であるし、「日本が奴隷制度を廃止する見込みはまったくありませんかね?」と言ったのはある地方都市選出の下院議員であったし、「日本の総督は終身官でしたっけ?」と訊いたのはある州選出の下院議員であった。 インドで官職に就いているある紳士はもうひとりの紳士とこんな会話をかわした。ふたりとも文官試験に備えて猛勉強をしてまだ二年とたっていないのである。「日本はいまロシアの領土だったっけ?」「そうだよ。二、三年前に清国が割譲して、見返りになにかをもらったんだ」。 また同じ話題で、ある高位の陸軍将校は日本はロシアに属しているのみならず、アジア大陸にあると主張し、地図を見せられるまで自分のまちがいを認めようとはしなかった。最後のふたつの誤りはおそらく数年前に日本が小さな諸島と引き換えにサハリンをロシアに譲ったことを曖昧に覚えていて、そこから生じたものと思われる。 ハリー・パークス卿が日本の総督なのではとか、日本は清の属国であるとか、日本人はカトリック教徒であるとか、キリスト教は禁じられているとか、日本内陸の住民は野蛮人であるとか、気候は熱帯性であるとかいう憶測はわたし自身、学識ある人々から幾度となく聞かされているし、新聞には同じように奇怪な誤解が頻繁に登場している。 その国を旅するか、その国と戦争するか、あるいはその国を植民地にするかでもしないかぎり、わたしたちの得る情報がまずもって豊富でもなければ正確でもないのはまさしく本当である。〉 〈また昔の旅行者のもたらした多分に空想の混じった報告、長期にわたる謎めいた鎖国、この一一年間に息をもつかさぬ速度でつぎつぎと起きた変化のせいで、わたしたちの日本に関する知識はことさら混乱してしまっている〉 植民地、属国、野蛮……。こうしたイメージが渦巻くなか、明治日本は「先進国」にキャッチアップするべく模索をつづけていた。当時の日本のエリートが抱いた焦燥が見えてくるようです。 * さらに【つづき】「1878年5月、日本にやってきたイギリス人が「日本の姿を見て、最初に感動したこと」」では、バードの日本上陸時の様子についてくわしく見ていきます。
学術文庫&選書メチエ編集部