「バカげてると思われるかもしれないけど…」難病を克服してプロテストに合格した女子ゴルファー、平塚新夢が信じたもの
■10万人に3.7人の難病を患う 平塚は2000年生まれで、宮城県石巻市出身。小5で東日本大震災を経験していて、ゴルフはその1年ほど前に始めていたという。中3で世界ジュニアマッチプレーに優勝。高校に入ってからも日本ジュニア9位、高校選手権でも3位とまずまずの成績を残している。 「あまり、タイトルとか獲ってないんで……」と本人は謙遜するが、「静ヒルズレディース 森ビルカップ」での優勝は、権威あるアマチュアタイトルと比較してもそれ以上の快挙と言っていいだろう。平塚は翌年の同大会でも4位タイに入り、前年の優勝がフロックでないところを見せている。 そんな順風満帆に見えた平塚のキャリアだが、2018年の秋に突然病魔が襲う。レギュラーツアー「ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープン」の予選会を突破し、本戦を戦った後、まもなく身体に異変が起きたという。 高熱と皮膚の発疹、それに関節の痛みが襲った。10万人に3.7人という国の指定難病、成人スチル病だった。症状が出ると、筋肉が動かなくなり、ペットボトルを開ける力すら入らなくなった。 さらに追い打ちをかけるように1次テストを通過した後、群発頭痛を発症した。経験したことのない激痛が6時間おきに襲ってきて、「痛くて気が狂いそうだった」(平塚)という状況だった。プロテストは2次予選を前にして、棄権せざるを得なかった。 ■薬の副作用で「ムーンフェース」に 視界良好に見えたプロゴルファーへの道が病気によって閉ざされた。しかし、意外にも平塚はそれほどショックではなかったという。 「まだ、プロテストを受ける1年目だったから、そんなにテストの重みもわかってなかったんですよね。親とか周りの人たちのほうがショックだったかもしれない。 それよりも薬の副作用で、顔がパンパンになってしまって。それがもう本当につらかった」(平塚) 治療のために服用したステロイド剤の副作用で、顔が丸くなる「ムーンフェース」の状態になり、さらに体重も10キロ以上増えた。 「あまりにも容姿が変わってしまって、このままでこれからずっと生きていかなきゃいけないのかと思うと、すごく悲しかったです。ひとりの二十歳前の女の子の心境からしても、未だに当時の自分はかわいそうだなって思う」 幸い、経過は順調で、体調は徐々に回復していった。平塚は再びプロテストへの挑戦を開始する。 翌年は、投薬治療の影響もあり、十分な練習が出来なかったが、テストを受験することは出来た。体重も徐々に落ち、投薬の量を減らせたことで、「ムーンフェース」の症状も緩和していった。今の平塚を知る人は、同じ人物とは思えない当時の姿を見て、驚く人も多いのではないだろうか。