「零戦でもっとも戦った搭乗員」が戦後、自分の生活を犠牲にしてでも続けた「慰霊行脚」
私が6月25日に上梓した『決定版 零戦最後の証言2』は、4月に刊行した『決定版 零戦最後の証言1』と同様、私が直接インタビューを重ねた元零戦搭乗員たちが、戦争をいかに戦い、激動の戦後をいかに生きてきたかを、戦中、戦後の写真とともに解き明かしたものである。登場人物は各巻8名で、『2』は進藤三郎、日高盛康、羽切松雄、角田和男、原田要、小町定、大原亮治、山田良市の各氏。8月末には『決定版 零戦最後の証言3』が出て、それで完結する予定だ。今回は『決定版 零戦最後の証言2』より、ある歴戦の零戦搭乗員の戦後の慰霊行脚について加筆の上、ご紹介する。 【写真】敵艦に突入する零戦を捉えた超貴重な1枚…!
零戦で誰よりも戦った男
角田和男(つのだ・かずお。1918-2013)は、昭和9(1934)年。予科練5期生として海軍に入隊した。海軍兵学校卒のエリートとは違い、兵から叩き上げた特務士官の戦闘機乗りである。最終階級は中尉。 その実戦経験は、支那事変にはじまってラバウル・ソロモン・ニューギニア方面から硫黄島、フィリピン、さらに沖縄沖航空戦にまでおよぶ。昭和19(1944)年10月からのフィリピン戦以降は特攻隊員に組み入れられ、爆装特攻機を護衛し突入を見届ける直掩機として、辛く非情な出撃を重ねた。 温厚篤実な人柄ながら、その実戦経験から、「零戦でもっとも戦った搭乗員」として、生き残り搭乗員の誰からも一目置かれる存在だった。『大空のサムライ』などの著書で著名な元零戦搭乗員・坂井三郎はめったに人を褒めない人だったが、角田に関しては私のインタビューに、「角田さんほど戦った搭乗員はほかにいないんじゃないか」と語ったほどである。 角田がかつての仲間から一目置かれたのは、戦場での獅子奮迅の働きぶりはもちろんだが、戦後、自分の生活を犠牲にしてまで、関係した部隊の177名におよぶ戦没者たちの遺族と墓を探しては訪ね、さらにかつての戦場にまで慰霊巡拝の旅を続けたことも大きいと思われる。 角田和男の1日は、2013年に亡くなる直前まで、机の上に戦死した戦友の遺影を1頁に1枚ずつ貼った蛇腹折りのアルバムを広げ、般若心経を唱えることから始まった。 脳梗塞を患い、体の自由が利かない角田にとって、ベッドから起き出すことは容易ではない。目覚めるのは朝といっても遅い時間で、そのまま布団のなかで手足の指から順に体を動かしウォーミングアップをして、やっと床を離れる頃には時計の針は正午近くを指している。