「参りました」と負けを認め、壁にぶつかったら「基礎に戻る」ができるかどうか【プロ棋士と教育識者が語る、子どもの学び】
将棋とスポーツが教える「負けの学び」
今木:才能があるっていうのは何をやるにしてもいいことですよね、天才肌といいますか。 戸辺:羨ましいですよね(笑)才能があれば、ある程度までできちゃうことってあるじゃないですか。でも、そういった人が壁にぶつかった時に、どうしていいかわからなくなることがあるんですよ。 今木:あるあるの話ですよね。才能があるからそこまで努力をしてこなくてもできるって、どんな分野でも共通してそうですね。 戸辺:例えばですが、才能がないというか、できないから努力してるパターンの場合、できない時はどうやったらいいのかって方法を考えるわけですよ。野球で例えるとバットにボールが当たらないなら、次からは少しバットを寝かせて構えようかとか。 今木:ボールが来るのに対して、当たるのは面ですからね。 戸辺:どうやったらできるようになるかなって考えるのがとても大事なんですよ。将棋の世界も一緒で、プロ棋士も才能がある人が多いから、なんでできないのかがわからないことって往々にしてあるんですよね。 今木:なるほど、才能があることは素晴らしいことですが、できなくなった時、いわゆる壁にぶつかった時にどう努力すればいいのか、誰も教えてくれませんよね。将棋でいうと負けた時、人って初めて考えるじゃないですか。 戸辺:しかも自分で「参りました」って認めますしね。 今木:そうですよね、スポーツとかだと生まれ持った体格とかがあるけど、将棋は完全イーブンからスタートしますからね。 戸辺:あと他の競技はけっこう第三者による判定もありますよね。審判がいるので、負けたのはジャッジのミスのせいだとかの言い訳ができるんですけど、やっぱり将棋は自分で参りましたって言わないといけないから。しかも1対1なので、言い訳のしようがないですよね。 ■大事にしたい「失敗から成功へのプロセス」 才能だけで乗り越えられない壁に直面したとき、努力の仕方や課題の克服方法を考える力が必要です。将棋の世界では、自身が「参りました」と負けを認めることで、自らの弱点や改善点を見つめ直すきっかけになります。 学習でも同じように、つまずきを認識し、それを解決するための方法を見つける成功へのプロセスが重要です。野球でいうと打てないからどうしたら打てるのかと考えたり工夫したりします。そのプロセスが成功体験として刻まれると、脳的にもプラスに働きます。 早い段階で失敗を経験することも、そのプロセスを考える事も、より大きな成長につながるでしょう。