古い企業の現実は変わらない――「昭和」「理不尽」批判された秘書検定、それでも貫く「今の考え」
秘書検定が「古い企業やおじさんの考えを可視化」
人事の専門家で、リクルートなどでこれまでに数十人の秘書を採用してきた曽和利光さんは、自身の秘書にも秘書検定を受けさせた。 「日本は100年以上続く企業が世界一多く、不文律も多くあります。秘書検定は、日本の古い企業の習慣を体系化・可視化している。価値観の是非は別として、『古い企業、あるいはおじさんはこう思っているよね』というのを知っておいて損はないと思います」 ネット上で批判があることに対しては、秘書検定の特異性が影響していると指摘する。簿記検定や英検など、多くの検定は専門能力を証明するものだが、秘書検定は価値観を扱う。試験問題として価値観に正否をつけるので、批判が伴うのは自然なことだという。 「ネット民の方から見たら、秘書検定の内容は非常に古い考えに映るかもしれません。ただ、それが日本の多くの企業の現状です。秘書検定に反発している人は、古い企業の体質に反発しているのではないでしょうか。たとえ秘書検定がなくなったとしても、そこにある現実は変わりません」
コロナ禍だからこそ「検定が生きる」可能性
秘書検定の始まりは1972年。当時、多くの企業では女性が補助的な役割を担っており、女性が男性をサポートする業務に就くことを想定して検定問題は作られた。 「一昔前までは、秘書といえば若い女性。話すときにはゆっくりとおしとやかに、声を3トーンくらい上げるのが美徳とされていました」 1993年に建設会社に入社、その後12年間秘書を務めた白川ミユキさんの最初の職場は、ステレオタイプの秘書像に近いのではないだろうか。朝は誰よりも早く出社し、上司のデスクを整える。新聞を用意し、それぞれの好みに合わせたお茶を入れる。上司のスケジュール管理、会議や来客、外出の準備をするほか、取引先のデータもまとめる。 「寿退社が当たり前の時代で『いつ辞めるの?』と言われたこともあります。女性は2、3年で辞めてくれたほうがありがたいとか、ニコニコしてムードを作ってくれればいいという話も耳にしました。男性中心の歴史ある企業でしたから、女性は企業の一員として扱われていないのではと感じることもありました」」 白川さんは、結婚しても仕事を続けた。その後、外資系ベンチャー企業に転職し役員秘書に就くと、これまでの企業との体質の違いに驚いた。初めての役員会議で張り切ってお茶を用意すると、社長に怒られた。お茶を出す役割は望まれていなかったのだ。その代わり、当時目新しかった社内ネットワーク導入のプロジェクトメンバーに加わり、数社との折衝から決定までを任されるなど、補佐的な業務以外の働きも求められた。 「時代の変化を肌で感じた」と白川さん。一口に秘書の仕事といっても、会社や上司、時代によって、求められるものは大きく異なる。 「秘書というと単なるサポートと考えられる方も多いかもしれません。利益を出すような仕事ではありませんが、『この人がいなければまわらない』というプロフェッショナルにならなければと思いました。でなければ結局、『秘書って要る?』となってしまう」