渋沢栄一いくつかの小話(4完)岩崎弥太郎と熾烈な海上覇権争い、日本郵船が誕生
「日本の資本主義の父」と称される渋沢栄一が、2024年から新しい1万円札の顔になります。江戸後期から明治、大正、昭和を生き抜いた実業家で、第一国立銀行をはじめ、日本初の私鉄である日本鉄道会社や王子製紙など約500の会社に関わった一方、約600の社会公共事業にも力を注ぎました。市場主義経済の象徴として現在の取引所の姿があるのは「渋沢のおかげ」と評価され、企業コンプライアンスが厳しくなった現代にあって、その哲学が再び注目されています。そんな渋沢の考え方や人柄が伝わるエピソードを、硬軟織り交ぜて集めました。市場経済研究所の鍋島高明さんが4回連載で紹介します。最終回のテーマは「vs 岩崎弥太郎」です。 【画像】渋沢栄一いくつかの小話(1)「日本資本主義の父」哲学の拠り所は論語だった
渋沢は上杉謙信? 岩崎は織田信長?
三井財閥の重鎮・高橋箒庵(そうあん)は、その著「箒のあと」で明治の財界人を戦国武将に置き換えながら人物評を展開するが、敵に塩を送った上杉謙信の故事に共感する高橋翁は「渋沢栄一は上杉謙信である」とし、こう記す。 「渋沢栄一は身代(しんだい)は余り大きくなく、もしその富を比較すれば世間これに数倍するものもあろうが、その徳望の盛んなるに至っては、実に当世第一人者で、あたかも上杉謙信が領地もあまり広からず、人数もそれほど多くないのに、侠名、義声、天下を動かして、隣国ことごとく畏服したのと、大いに似通ったところがある。敵が食塩に乏しいと聞いて車に積んでこれを送り、敵の大将が死んだと聞いて箸を投じて泣いたというほどの義侠を、現代に求むれば、渋沢をおいてほかにないだろう」 渋沢財閥は、事業規模では三井、三菱の敵ではないし、住友、大倉、安田、浅野などにも及ばないが、渋沢栄一の徳望の大きさにおいて他を圧している。「徳」の人、渋沢はコンプライアンスの重要視される時代になって一層光りを増してきた。三井の最高顧問格でもある渋沢にとって生涯最大のライバルは、三菱の祖・岩崎弥太郎だろう。前出の高橋説によれば岩崎は織田信長。その根拠をこう記す。 「人となり闊達、果断でよく相手の機先を制し、かの共同運輸会社と競争して、ついにこれを三菱汽船会社と合併するほどに至った策略ぶりのごとき、信長が桶狭間の夜襲をもって今川義元を屠(ほふ)り、浅井、朝倉を滅ぼして、京都に攻め上った軍略と大いに似ている」