カラフィオーリとは何者か。22歳でイタリア代表レギュラーに…選手生命危機からの復活劇
ローマの後悔
最近デ・ロッシは、カラフィオーリの放出について考えると今でも「胃が痛む」と認めている。1月に監督としてローマにもどり、モウリーニョの後任として指揮を執っているデ・ロッシは、あれほど将来性ある選手を手放してしまったこと――しかもあんな安値で、買戻し条項も転売条項もつけずに――。 デ・ロッシは、カラフィオーリが当時まだ10代でしかなく、先発メンバーとなるには準備不足だったことは認めている。しかし、そのポテンシャルは明らかだと感じていた。元イタリア代表MFがさらに腹立たしく思うのは、カラフィオーリが優れたセンターバックとなる素質をもっていると初めから思っていたからである。それはまさに、少なからず代表でチームメイトだったティアゴ・モッタのおかげでデ・ロッシが活躍したポジションである。
バーゼルからボローニャへ
そもそもカラフィオーリは、ローマを去りたいとはまったく思っていなかったが、当時はどうしようもないと感じていた。 「僕はローマで、モウリーニョ監督のもとで少ししかプレーできなかった。もっと試合に出たかった。だからジェノアに行ったけど、うまくいかなかった」と、今月初めにカラフィオーリは記者たちに語っている。 「ローマには僕の居場所はなかった。だからバーゼルに行った」 「最初は全然自信がなかった。もう少しで出ていこうとするところだった(トップチームで出場機会を得るために)。だけど僕はすぐに考えを変えた。バーゼルには、若い選手が成長するのに必要なものがすべてあった。僕は初めて30試合に出場した。それが僕を成長させた」 さらに重要なことに昨年2月、ハイコ・フォーゲルがアレクサンダー・フライの後を継いでバーゼルの監督になると、カラフィオーリはセンターバックとしてますます試合に出る時間が増えたのだった。 そんな彼をボローニャが興味深く注目し、スイスで1シーズン過ごしただけの彼を、わずか400万ユーロ(約6億8,000万円)で獲得した。モッタはカラフィオーリを中盤に完全にコンバートすれば、自分の流動的な4-3-3のフォーメーションで活躍できる、マルチな才能を持った選手になると確信していた。 だが、バーゼルはローマと同じ過ちを犯さなかった。契約には40%の転売条項が組みこまれており、遅かれ早かれ、バーゼルははこの選手から大きな利益を手にすることになるだろう。カラフィオーリはイタリアのユーロ2024の開幕戦である6月15日(土)のアルバニア戦で見事なプレーを披露し、より多くの観客にその存在を知られる前に、すでにサッカー界最大のクラブのいくつかから注目されていたのだから。