「日本ならエースっていうのは『18』だと思ってる」――左腕エースでは珍しい背番号変更を直訴したオリックス宮城大弥の覚悟【オリ熱コラム2024】
オリックスのエース宮城大弥が、来シーズンから背番号を「18」に変更する。2020年の入団以来、ずっと背負ってきた「13」を卒業することとなった。11月24日に京セラドーム大阪で開催された『Bsファンフェスタ2024』にて、新しいユニフォーム姿がさっそく披露された。 左の名投手の背番号といえば、歴代最多通算400勝投手・金田正一の「34」、西武、ダイエー(現ソフトバンク)・、巨人の3球団で日本シリーズを制覇し、“優勝請負人”と呼ばれた工藤公康の「47」などが思い浮かぶ。その一方で、エースナンバーである「18」を背負ったサウスポーは意外と少ない。今季からMLBへ活躍の舞台を移した今永昇太(カブス)は背番号「18」だが、DeNA時代は「21」を背負っていた。 またオリックスの「18」番と言えば、岸田護監督が現役時代に背負った番号だ。現役引退に伴って山本由伸(現ドジャース)へと受け継がれ、この度山本を尊敬する宮城に継承されることとなった。 山本の「18」が定着するまで、オリックスのエースは長らく金子千尋で、その背番号は「19」だった。これを20年に継承したのが山岡泰輔。山岡が17年に入団した際は「13」を着けており、この変更に伴って宮城が「13」を受け継いだ、という経緯がある。つまり宮城は、山岡と山本という、オリックス2大ピッチャーの背番号を背負ったことになる。 背番号「18」のユニフォームに袖を通した宮城は「まだ開幕までは長いですけど、しっかり、この分やらなきゃいけないっていうのは改めて感じたかなとは思います」とコメント。「チームを引っ張っていくためだだけだったら全然『13』でもいいとは思いますけど。歴代の先輩方を見てもそうですし、 マモさん(岸田監督)だったり、由伸さん、オリックスのエースと言ったらやっぱり『18』を背負ってきた人たちだと思いますので、 その1人になりたいと思って。自分から由伸さんにも連絡しましたし、動いてもらった形にはなりますけど、欲しいという思いは伝えました」と、すでに“前任”の山本には連絡済みとのことだ。 「由伸さんが飛び立ってからずっと空き番号でしたし、今までつけたことない数字でもあるので、 つけてみたいっていうか。日本ならエースっていうのは『18』だと思ってるので、一度はやっぱつけてみたかったですし、それが叶ったので。また一からではないですけど、しっかり頑張っていけたらなと思います。やっぱり今シーズンはちょっと不甲斐ない順位で終わりましたし、もっと最少失点とか怪我なくとか(を目指していきたい)。そ終わってから結果はついてきますけど、それがなければ一つでも順位上がった可能性がありますし、 そういうところも含めて自分自身にプレッシャーをかけたい。後輩たちにも そういう思いを背負ってやっていってほしいなと思いますし、自分もまだいろいろ勉強中ですけど、身につけて、つなげていけたらなと思ってます」 「日本のエースは『18』」という思いは、山本が「43」から変更する際にも口にしていた言葉で、宮城からも覚悟のようなものを感じる。そのためにも「まだタイトルは1つも取れてないですし、 いきなり全部とは言わずに、しっかり1個1個自分の積み重ねてきたものを忘れずやっていけたら。取れるというか自信あるものはあるので、自信をつけながらやっていければベストかなと思います」とまずはタイトル奪取を目標にエース道を歩んでいく。 「13」への思いは特にないようで「僕自身ずっと『18』欲しかったですし、 相応しくなるまでは。あんまり興味がなかった数字ではあるんですけど、 しっかり自覚とか責任も持てるような歳になりましたし。すごい先輩が抜けて誰が引っ張っていくってなったら、自分とかペータ(山下舜平大)が引っ張っていかなきゃいけない 立場ですので、そこで心機一転ではないですけど、プレッシャーかけながらやっていけたらなと思います」と今エースとしてチームを再び優勝へと導く覚悟だ。宮城には左腕の「18」の代表格になってもらいたい。 取材・文⚫︎どら増田 写真⚫︎Rinco(DsStyle)