4年連続最下位→今季暫定5位。「失敗は材料」ポルセイド浜田2年目、村松裕樹監督が浸透させた“食事・睡眠・やる時は100%”の姿勢|フットサル
名将・ベラスコ監督から学んだこと
──村松監督が指導者を始めようと思ったきっかけを教えてください。 きっかけはいくつかあります。僕は中学生の時に指導者がいない環境でサッカーをしていて、その時に自分が練習メニューを考えていました。それが楽しいと感じたことがスタートです。サッカー試合のオンライン中継 また、高校サッカー時代は全国大会にも出られましたし、今では感謝していることもたくさんありますが「あの時にもっとうまくなることができたんじゃないか」と思う部分もあります。指導者になって、そういった育成年代にフットサルを教えられて、選手を支えられる指導者になりたいと思ったこともきっかけの一つです。 あとは、自分が実際にスペインに行って、育成年代のフットサル環境を良くすることが重要だということを学びました。それからはずっと、指導者としてやってきています。 ──これまで指導者としてどのような経験をされてきましたか? 僕は愛知県出身でずっと名古屋にいましたが、27歳の時にスペインに行きました。最初は選手もやりながらでしたが、途中からは指導の勉強がメインになりました。スペインで指導を始めて1年くらいで日本に帰ってきて、愛知県のクラブで6年間、指導者としての経験を積みました。その時に、育成年代の管轄を全部もつ経験をしています。 その後は湘南ベルマーレのトップチームで2年間コーチをやって、そのうちの1年間はサテライトの監督もやりました。そして、湘南を離れてからは、1年間、地域の子ども向けのスクールを行い、昨シーズンから浜田に来ました。 ──今の指導に一番影響があったことは?サッカー試合のオンライン中継 指導者としてのキャリアの最初に、現在スペイン代表の監督をしているヘスス・ベラスコ監督の下で勉強できたことは大きかったと感じています。本当に運が良かったですし、その時に感じたことは今でもすごく生きています。 他にも、愛知県に帰ってきて、子どもたちがうまくなるにはどうしたらいいのかを考えてきたことも、湘南でFリーグの経験をさせてもらったことも、すごく糧になっています。それぞれの場所で大切なことを学ばせてもらいました。 ──スペインではどのような1年間を過ごしましたか? 当時、ベラスコ監督はスペイン1部のインテル・モビスターで指揮を執っていました。自分は最初、トップチームの練習を観客席から見ているだけでした。 ただ、自分が選手をやめて、指導の道に進むと決めたタイミングで「インテルの育成年代のチームで、コーチになってしまおう」と。そう思ってからは、クラブの全年代、全チームに通い詰めました。その結果、なんとかU-13年代のコーチをやらせてもらうことになりました。 ──すごい熱意ですね。 それによって観客席ではなく、ピッチ上で練習を手伝えるようになり、質問ができる環境になりました。 スペインでコーチを1年くらい続けながら、スペインの指導者資格も取りました。勉強するなかで、育成年代の発展が日本にとって重要だと感じ、早く実際に働きたいと思って、1年で日本に帰りました。 ──ベラスコ監督の下で指導を学んでいて、印象に残っていることはありますか? 多くを語る人ではありませんでしたが、よく話をしてもらいました。あえて挙げるのであれば、こんな自分でも受け入れてくれたところですね。 監督も選手も、普通に僕のことを受け入れて話してくれるんです。インテルの選手たちはブラジル代表やスペイン代表といった名だたる選手たちばかりだったので、逆に自分はへりくだってしまいそうになりましたが、それではダメだと思って毎日取り組んでいました。 ベラスコ監督の人への接し方は、選手に対しても変わりません。もちろん自分のフットサル論ややりたいフットサルはあって、それを伝えていますが、選手一人ひとりを尊重しながら少しずつ進めていく彼の姿を見て、感銘を受けました。 ──それは実際に、村松監督が指導者をする上で生きていますか? 実際に選手たちがどう思っているかはわからないですが、自分の意思を伝えることも重要ですけど、きちんと選手たちの性格や特徴をリスペクトしながらやっていきたいとは思っています。