「頼りないと言われても権力は健全じゃないといけねぇんだ」 何が岸田首相を派閥解散に駆り立てたか【裏金政治の舞台裏②】
そうした声を耳にした夜、岸田首相は公邸で一升瓶を片手に日本酒をあおった。政界きっての酒豪が珍しく突っ伏して寝てしまったという。 葛藤の末、最後には自分に言い聞かせるように語った。「官邸と検察は健全な関係じゃないといけねぇんだ。国民が安心して、それなりに公権力を信頼して平穏な生活をできることが民主主義には大事なんだよ。これは、そういう問題だと思うんだがなぁ…。権力は国民のために使わないといけねぇんだ」 「真面目な人間がばかを見ない社会にしたい」とたびたび語る岸田首相。丁寧な言葉遣いがべらんめえ調になるのは感情がこもっているときだ。 ▽不安が最悪の形で的中した その後の経緯は必然でもあり、皮肉でもある。捜査から距離を置いた代償として、検察の動きを察知するのが遅れた。 当初、岸田派の政治資金収支報告書への不記載問題について岸田派幹部は「事務的ミスで、安倍派、二階派とは性質が全く違う。立件はされない」と楽観視していた。首相も報告を受けて「検察としては大きな問題はないと考えているようだ」と安堵していた。
事態が急変したのは1月17日だった。宏池会の元会計責任者が立件されそうだ、との情報が首相の耳に入った。漠然とした不安が最悪の形で的中した。翌日から「岸田派立件」の報道が火を噴いた。 岸田首相の反応は素早かった。1月18日午後、総理執務室に岸田派幹部を官邸の裏口から呼び込んだ。時間をずらして一人一人と向き合い、今後の対応方針を相談した。隣には岸田派ナンバー2の座長を務める林芳正官房長官を座らせた。 「自民党の未来を守らなければなりません。そのために宏池会を解散しようと思います」。岸田首相が静かに切り出すと、ある幹部は「総理の判断にお任せします。解散しても人間関係は変わらないですから」と応じた。「では攻めの気持ちで解散しようと思います。派閥の若い連中をよろしく頼みます」。反対する幹部はいなかった。 ▽断腸の思いか、責任回避か 宏池会を1957年に創設したのは池田勇人元首相である。岸田首相が最も尊敬する人物だ。「軽武装・経済重視」の理念を長年掲げ、タカ派と称される清和政策研究会(安倍派)と比較して、自民党内のハト派と位置付けられてきた。大平正芳、鈴木善幸、宮沢喜一も首相に輩出した。官僚出身者が多く、政局に弱い「お公家集団」とやゆされることもある。