大川内直子 なぜ、九州では冬に「キットカット」が売れるのか
近年、文化人類学はビジネスへの応用が進んでいる。文化人類学者の大川内直子さんにインタビューする連載第2回は、ビジネスパーソンに役立つ文化人類学の本を取り上げる。『ANTHRO VISION(アンソロ・ビジョン)』は、ネスレやインテルなどの世界的企業が、文化人類学の手法によって顧客行動の違いを見つけ出す例を紹介。『「その日暮らし」の人類学』はタンザニアの商人がしたたかに生き抜くもう一つの資本主義の様相が描かれる。 【関連画像】「文化人類学は自分たちが当たり前と思っていることを見直すツールになります」と話す大川内直子さん ●人類学からジャーナリズムへ 前回 「大川内直子 会社は『部族』? 文化人類学をビジネスに生かす」は私が起業に至った経緯と文化人類学の調査手法を紹介しました。今回はビジネスパーソンに役立つ文化人類学の本を紹介します。 まず、文化人類学のビジネスへの活用例が詳しく紹介されているのが、『ANTHRO VISION(アンソロ・ビジョン) 人類学的思考で視るビジネスと世界』(ジリアン・テット著/土方奈美訳/日本経済新聞出版)です。 著者のジリアン・テットはフィナンシャル・タイムズの米国版編集委員会委員長で、『セイビング・ザ・サン リップルウッドと新生銀行の誕生』(武井楊一訳/日本経済新聞出版)、『サイロ・エフェクト 高度専門化社会の罠 』(土方奈美訳/文春文庫)など経済や経営の著作が有名ですが、ジャーナリストになる前は大学院で文化人類学を専攻していました。1990年から91年にかけてタジキスタンに滞在し、現地の婚姻関係を調査して博士号を取得しました。 その後、フィナンシャル・タイムズ(FT)に入社、ジャーナリストとしての道を歩み始めました。私も文化人類学を学んだ後に金融業界へ就職したので、シンパシーを感じます。 文化人類学はずっと「未開の地」を研究する不思議な学問という位置付けだったと思いますが、現代社会でも文化人類学が活躍できる余地があることを、全体を通じて述べています。しかもインテルやネスレなどの最先端のグローバル企業が、ビッグデータと対極にある泥臭い学問を役立てようとしているところがギャップとして面白いと思います。 日本での事例も登場します。グローバル化が進む世界では、どの国の消費者も同じようにものを考え、行動すると考えがちです。スイスに本社を持つ食品大手ネスレのキットカットは、もともとイギリスのお菓子でした。同社は「Have A Break, Have A KitKat」のキャッチコピーで、工場の労働者へ向け休憩時間に食べてもらおうとしました。しかし、日本ではブレイク(休憩)時にチョコレートを食べる習慣がなかったため、ネスレが日本で製造を開始した1989年当時、売り上げはパッとしませんでした。 ところが2001年、ネスレ日本のマーケティング部門が、九州地区では12月~2月にかけて売り上げが大きく伸びていることに気づきました。調査をしたところ、キットカットの響きが「きっと勝つとぉ(きっと勝つよ)」という九州の方言に似ていたため、受験生の縁起担ぎとして購入されていたのです。 そこで文化人類学のエスノグラフィー(行動観察)にヒントを得て、10代の消費者に「ブレイクから連想する光景」を写真に撮ってもらったところ、音楽を聴いたり仮眠をしたりする場面はありましたが、チョコレートの写真は1枚もありませんでした。日本の文化では「ブレイク=チョコレートを食べて休憩する」ではなかったのです。 ●独断でコピーを変更 そこでネスレ日本は、キャッチコピーを「キット、サクラサクよ。」に変更します。ネスレ本社には知らせず、独断の変更でした。すると2003年には学生の34%がキットカットをお守りとして使うようになり、2014年には日本で最も売れているチョコレート菓子になりました。余談ですが、私も大学受験のときに宿泊したホテルで「キット、サクラサクよ。」のキットカットをプレゼントされ、とてもうれしかった思い出があります。 グローバル企業にとって、グローバルに確立したブランドをどの程度、現地化し展開していくかは非常に難しい問題です。本書を読むと、そんなときに文化人類学の思考が役立つことが分かります。 また、本書では2011年、グリーンスパン元FRB議長がカンファレンスで会ったジリアン・テットに、「人類学について良い本を紹介してくれないか、と尋ねてきた」というエピソードが出てきます。当時はクレジット・デリバティブなどの金融派生商品を震源地とする深刻な金融危機が起き、グリーンスパンはその対処に悩んでいました。文化人類学の思考を学ぶことで、自らの思考の欠陥を知ろうとしたのです。