「英語民間試験」延期 何が一番問題だったのか? 坂東太郎のよく分かる時事用語
文科省の「実施ありき」を覆した国会での追及
要するに、民間試験導入には「地域格差」「経済格差」が課題であると2014年の中教審答申ですでに明らかになっていたにもかかわらず、また度々確認されていたのに漫然と先送りし、実施団体に「文科省が指導する立場にない」と根本的な解消の努力を怠ったまま推し進めようとしたところを、「身の丈発言」で批判が集まり、国会という公式の場で追及されて実施に「待った」をかけざるを得なかったというのが実情です。 多くの有識者や当事者団体から上記の課題を散々問題視されながら実施ありきを変えなかった文科省の方針を覆したという意味では、国会が最高機関の重みを久々にみせつけた出来事であったともいえましょう。 あらためて2つの格差を明示します。「地域格差」とは、受験生の住んでいる場所によって試験が受けづらくなる状況です。2020年度でみると、全都道府県で行われるのはGTEC、英検のみ。しかも会場がセンター並に確保される見通しはありませんでした。「経済格差」は、1回の試験にかかる費用に約6000円から2万5000円超と幅があることによって生じる可能性がありました。 実施団体に非はありません。それぞれの目的を達成するため、また各々の団体の体力に合わせて会場や値段、回数がバラバラなのは当然です。何しろ民間なのですから。問題なのは、それを共通テストという公的性質の高い試験で事実上義務化した点です。 実施母体の大学入試センターは文科省管轄の独立行政法人で、共通テストは国公立大学の志望者(一般入試)は実質的に「受けなければならない試験」。国立大学は「公共上の見地から確実に実施されることが必要な事業」を行う独立行政法人の一形態で、国(つまり税金)から補助金(運営費交付金)が出ています。すなわち公平性が一際求められる試験との認識が広く共有されており、受験生がどこに住み、家計がどうであっても平等に機会が与えられるべきところでした。その本質に疑義が呈せられたのだから、延期は致し方ないでしょう。 英語民間試験の導入には別の不安もありました。18年3月に大学入試センターが8種類の民間資格を認定(後にTOEICが撤退)した時から指摘されていたもので、すなわち目的の異なる試験を一緒くたにして大丈夫なのか、と。たとえばTOEFLは非英語圏出身者がアメリカの大学などに留学したい際に英語力を測る試験で、英検の目的は「日常会話からビジネスシーンでも対応できるコミュニケーション力を高めます」(日本英語検定協会webサイトより)。 文科省は前述した2017年の共通テスト実施方針で、新たに「CEFR」(セファール=外国語の学習・教授・評価のためのヨーロッパ共通参照枠)を用いることも打ち出しました。これは、外国語の熟達度を測る国際的な指標で、「A1」から「C2」までの6段階の等級があります。「A1・A2」は「基礎段階の言語使用者」、「B1・B2」は「自立した言語使用者」、「C1・C2」は「熟達した言語使用者」とレベルが上っていきます。 異なる民間の英語試験の結果を、CEFRの6段階評価に当てはめるのは「理論的根拠がない」と専門家がかねがね指摘してきました。たとえばTOEFL iBT42~71、英検2級の上位と準1級下位は、文科省の公表した対照表によるとCEFR「B1」に相当しますが、所定の成績を得た英検の受検者がTOEFL iBTで42~71を取ることができるか証明されているわけではないのです(逆もまた同じ)。