災害対策本部の会議参加できず、県庁の廊下で作業 冷遇されたボランティアの”調整役” 能登半島地震1年
「民間のボランティア、能登への通行をやめてください」。 石川県の馳浩知事がこう述べたのは、2024年元日の能登半島地震から4日後だった。 特定NPO法人「全国災害ボランティア支援ネットワーク(JVOAD、ジェイボアード)」の栗田暢之(のぶゆき)代表理事は、この発言を会議室の外で聞くしかなかった。 自治体と支援団体の間に入って調整する「災害中間支援組織」の役割を果たせるのに、災害対策本部に参加させてもらえなかったからだ。 知事の発言は、SNS(ネット交流サービス)でも拡散され、支援団体やボランティアが被災地入りするのに水を差した。 「自分たちが会議にいたら、適切な発信をする手伝いができたはずだ」。栗田さんは今も悔しい思いを持っている。 なぜ、ボタンの掛け違いは起きたのか。 【写真で見る】津波、家屋倒壊、火災…能登半島地震の被害
予想とは違った出迎え 廊下で活動
大災害が起きると自治体は災害対応に追われ、被災地には数多くの民間の支援団体やボランティアが駆けつける。 被災者の支援にむらが生じないように、支援をする上で必要な情報を共有し合うことが重要だ。 そこで、間に入って調整するのが「災害中間支援組織」だ。JVOADは全国域で活動を展開する。 だが、石川県では中間支援組織の位置づけが定められていなかったので、災害対策本部会議に参加できなかった。 栗田さんが石川県庁に着いたのは、地震翌日の2日午後だった。 19年10月に台風19号で被災した直後の長野県を訪れた時、県庁の防災担当部署と同じフロアにある一部屋を、民間の支援団体に開放してくれた。「そういうイメージを持って石川県にも支援に行った」という。 だが、県庁では部屋の割り当てがなかった。廊下の休憩用スペースを拠点として使わせてもらうことにし、パソコンなどの機材を置いた。 地震の発生から2週間が過ぎた頃だった。 「職員が休憩できない」。県の職員から言われ、拠点の休憩スペースからの移動を余儀なくされた。その後、内閣府が使っていた部屋の一角などで作業をした。 栗田さんは「県庁内は修羅場で『今はボランティアどころじゃねえ』って状況だった」と振り返る。 庁舎を管理する県管財課の担当者は「省庁職員や災害派遣医療チーム(DMAT)など大人数の支援が来たことで、災害時に使う部屋が足りなかった」と釈明する。 地震直後、防災の特命アドバイザーとして県庁に詰めていた菅野拓・大阪公立大准教授は、日ごろからの取り組みが重要だと指摘する。 「県は初期の態勢の立ち上げに失敗した。災害中間支援組織を含め、支援の受け入れ態勢が課題で、普段から顔の見える連携が必要だ」