2024年F1ベルギーGP以上の接戦も、歴史的に見れば多数あり! F1史上もっとも激戦となった上位5レース
2位:1969年イタリアGP
1. ジャッキー・スチュワート(マトラ) 2. ヨッヘン・リント(ロータス)+0.08秒 3. ジャン-ピエール・ベルトワーズ(マトラ)+0.17秒 1969年のイタリアGPの舞台も、今と同じモンツァ・サーキットだった。ただ当時のレイアウトにはシケインがなく、今以上に”スピードの殿堂”というべきサーキットだったと言えよう。 ランキング首位のジャッキー・スチュワート(マトラ)は、3番グリッドからのスタートで1周目に首位に躍り出たものの……後続を引き離すことができなかった。 超高速モンツァでは、スリップストリームがよく効く。上位のマシンは存分にこれを活用して、毎周のように首位が入れ替わった。序盤38周の間に首位に立ったのは、スチュワート、ヨッヘン・リント(ロータス)、デニス・ハルム(マクラーレン)、ピアース・カレッジ(ブラバム)4台だった。 ハルムはブレーキのトラブルで脱落したが、ここにスチュワートのチームメイトであるジャン-ピエール・ベルトワーズ、ロータスのグラハム・ヒル、マクラーレンのブルース・マクラーレンらも加わった。 ただカレッジは燃料システムの問題を抱えて後退。ヒルはドライブシャフトのトラブルでリタイアと、徐々に優勝を争うドライバーが絞られていった。 リントが最終ラップのレズモで首位に立ったが、現在は”アスカリ・シケイン”となったコーナーでスチュワートが再び首位に。ベルトワーズが最終パラボリカでインに飛び込んだが、これはリントを妨害する格好に……結局スチュワードがトップチェッカー、2位リント、3位ベルトワーズ、4位マクラーレンの順でフィニッシュラインを超えたが、マクラーレンでも首位から0.190秒の差だった。
1位:1971年イタリアGP
1. ピーター・ゲシン(BRM) 2. ロニー・ピーターソン(マーチ)+0.01秒 3. フランソワ・セベール(ティレル)+0.09秒 1971年のイタリアGPは、ジャッキー・スチュワート(ティレル)がすでに同年のチャンピオン獲得を決めた状態で迎えた。 予選では、マトラのクリス・エイモンが、スリップストリームも使って1分22秒40を記録してポールポジションを獲得。2番手にはフェラーリのジャッキー・イクスが続いた。 決勝レースは慌ただしい展開となり、8人がラップリードを記録した。 残り10周、エイモンは汚れたバイザーを外そうとした際に誤って交換用のバイザーも外してしまうというミスを犯し、減速することになった。これでロニー・ピーターソン(マーチ)、フランソワ・セベール(ティレル)、ハウデン・ガンレイ(BRM)、マイク・ヘイルウッド(サーティース)、そして予選11番手からスタートしたピーター・ゲシン(BRM)の5台による優勝争いとなった。 ゲシンは55周のレースの52周目に初めて先頭に立ったが、その2周後にピーターソンに抜かれてしまった。そのピーターソンが先頭で最終ラップへ。最終コーナー手前でセベールが首位に立ったが、ブレーキングゾーンでは再びピーターソンが首位を奪い返した。ただコーナーからの立ち上がりが優れていたのがゲシン。結局ゲシンがそのままフィニッシュラインまで駆け抜けた、2位ピーターソンは0.01秒、3位セベールは0.09秒、4位ヘイルウッドが0.18秒、5位ガンレイが0.61秒遅れでのフィニッシュだった。 歴史上、最も僅差の決着となったレースである。
Benjamin Vinel