Z世代が囚われる「第三者目線」という強迫観念 メリットなき個人行動の「コンプライアンス化」
舟津:インスタグラムとかは象徴的かもしれないですね。普通の学生が、どこに行ったとか、おいしいもの食べたとかを芸能人みたいに見せる。ただ冷静に考えると、誰に見せているのかわからない。私もSNSをやっているので一部は加担している部分もありますけど、不特定多数に向けて自分自身を切り売りする前提になった社会、なんですよね。芸能人はそれでお金を得ていますけど、一般人は何も得ていない。 與那覇:おっしゃるとおりで、そこが不均衡というか、きわめて不平等ですよね。
■曖昧な基準で一発退場をくらう社会 舟津:第三者目線は強迫観念を喚起します。たぶん若者はそうした強迫観念をいつも持っていて、友達グループから少しでも外れたら「消される」と、本気で信じている部分がある。私は大学生たちと接していて、同質化傾向が強いなと感じるんですが、こうしたキャンセルカルチャーの強迫がその傾向を強めているんじゃないかと思います。 だから少しベタですけど、みんな自分なりの自己判断基準を失っていると感じます。映画監督の是枝裕和さんが、早稲田大学の入学式で「自分だけのお気に入りの城を作った方がいい」と祝辞を述べていましたが、本当にそのとおりで。
與那覇:いろんな人や場所とのつきあいを試して、いちばんしっくり来るところを「城」にすればいいのに、そうした試行錯誤を許さない社会になっていますよね。 舟津:まさに。 與那覇:思い出すのは平成の半ば、2000年代の前半に「ゼロトレランス」(寛容さをゼロに)が日本でも唱えられた時期のことです。総数で言えば青少年の犯罪は減っていたにもかかわらず、ショッキングな事件の報道が続いたことを契機に、「もっと厳罰化を。未成年でも死刑に!」といった空気が高まりました。
アメリカでは「校則違反は一発で退学。言い訳は一切聞かない」とするゼロトレランスの政策が、秩序の回復に成果を上げたとされて、「じゃあ日本でも」という声が出てきた。しかし欧米のゼロトレランスは、事前に守るべきルールを明示してサインさせた上で、「これを破ったらアウトだよ」と互いに約束するわけです。 ところが日本では、何がルールなのかが曖昧なままゼロトレランスを導入し、「ここまで炎上したからには、きっとそれだけ悪いんだろう」といった後出しじゃんけんで処分が決まってしまう。