「合格確率100倍以上だった」個性の塊・あやまんJAPAN「人のダメや苦手にフォーカスせず、得意なことに目を向け」今ではメンバー50人超え
飲み会などのパフォーマンスで、たくさんの人たちを盛り上げ、一世を風靡した「あやまんJAPAN」。2010年にメディアでブームを起こしたその後も、個人事務所を立ち上げ、約10年間活動を続けています。(全4回中の2回) 【写真】「今こんなになってるの!?」50名のメンバーがいる現在のあやまんJAPAN「圧巻」など(全16枚)
■倍率は100倍!?オーディションに人が殺到 ── あやまんJAPANのメンバーは現在、約50人もいるそうですね。 あやまん監督:そうなんです。基本の中心メンバーは私、たまたまこ、サムギョプサル和田の3人。それに加え、各都道府県にあやまんJAPANのメンバーがひとりずついたら楽しいのではないかと思い、ユースメンバーを募集し始めました。すべての都道府県のメンバーはなかなか集まっていないのですが、新潟、群馬、静岡、京都、大阪、兵庫、広島、沖縄のメンバーが50人ほどいて、まだまだ募集中です。ちなみに、愛知県によく呼ばれるのですが、愛知県のメンバーが不在です!
── テレビで活躍されていたころはもっと人数が少なかった印象でした。もちろん、今とはメンバーも違っていましたよね。 あやまん監督:いろいろあったんですよ…(笑)。 ── そもそもあやまんJAPANはどうやって芸能界デビューしたんですか? あやまん監督:芸能界にデビューしようと思って活動していたわけではなく、気づいたらいつのまにかテレビ出演していたという感じです(笑)。そもそも、始まりはただの素人の酔っ払い集団でしたから。あやまんJAPANの誕生は2009年ごろ。当時、私がイベントコンパニオンの仕事をしていたのですが、その帰りに六本木で飲み会をするのが恒例でした。ちょうどサッカーワールドカップ南アフリカ大会の前で、監督の名前にちなんだ「岡田JAPAN」という名称が話題に。それを真似して飲み会をするメンバーたちと自分たちのことを、「あやまんJAPAN」と名乗るようになりました。
── そこからメディアに出るように? あやまん監督:毎晩のように飲んでいたら人脈が徐々に広がっていき、テレビ局の方が「おもしろい子たちがいるんだよ」とおぎやはぎの矢作さんを連れてきてくれたり、氣志團の綾小路翔さんが経営しているバーに行ったり、サッカー解説者の方にとんねるずの木梨さんを紹介してもらったりしたことがありました。そうしている間に「六本木におもしろい子たちがいるらしい」と話題になり、2010年にテレビ番組『とんねるずのみなさんのおかげでした』に出演させてもらえることになったんです。