「勉強も仕事もせず、プーさんになろう」と決意したひきこもりが気づいた驚きの真実
ひきこもりの中には「何かしなければいけない」という理由で、通信制学校の授業を受けたり、難しい資格の勉強をしたりする人たちがたくさんいる。しかし、本当にそんな“クサい芝居”が必要なのだろうか?本来、人間とは誰に気兼ねすることなく自由な時間を謳歌する資格を持っているのだ――。本稿は、勝山 実『自立からの卒業』(現代書館)の一部を抜粋・編集したものです。 【この記事の画像を見る】 ● 一生働きたくないから 一生勉強する人たち ひきこもりであるのならば、「働かなきゃいけない、でも働きたくない」、その葛藤に苦しんだあげく、どういうわけか勉強をしてしまった、という経験があることでしょう。 私も恥ずかしながら、3年も大学受験をしてしまいました。通信制大学に入学したこともあるんですよ。勉強って、働かない言い訳を得るための絶好のアイテムなのです。なにか価値がありそうだし、将来役に立ちそうな気もします。 だから通信制大学を中心に、ひきこもりは学校へ行くのです。2回、3回とループ入学をする人もいます。大学院にまで行ってしまうケースだってあるのです。 また資格の勉強というのも、似たような定番の逃げ道でして、なるべく取得まで時間のかかる、社会的地位の高いものに人気が集まります。司法試験とか、税理士とか。長々と浪人して、勉強して、どんどん社会の中心でないどこかへと遠ざかっていくのです。 働きながらなら、いくら資格や学歴を取ったってかまいません。でもひきこもって無職であるならば、なにかを得るための勉強というのは禁断の麻薬だと思ってもらいたい、ダメ、ゼッタイ。私もあなたも勉強したいんじゃないんです、働くまでの時間稼ぎがしたいだけなのです。
無意識のレベルで、他人をあざむくための受験生に擬態しているうちに、全力で自分自身までもあざむくようになり、自己催眠をかけ、本心に封印をかけ、だらだらと勉強をする、ふりをして、いつまでも不合格、単位を取らない学生、休学の魔術師、ベテラン受験生として、焦燥感は増していき、苦しみで顔はひん曲がっていく、そんなドツボ(土壷)をこねる陶芸家になってはいけません。 くまのプーさんになったつもりで、ハチミツでもなめて一日中過ごしたらいい。のんびりと、思い切ってなんにもせずに過ごしたらいい。プーさんになろう。そのように決意してハッと気づくのです、ハチミツこそなめていないけれども……、すでにもうプーさんでしたと。 ● 自由な時間を手に入れるのに 実はなんの努力もいらない!? すべての悩みは捏造された架空のものだった、葛藤の苦しみは、虚言癖が生み出す茶番劇にすぎなかった。我々には学歴も資格もいらんのです。なぜなら、すでに持っているからです、自由な時間を。 みんな自由な時間をたくさん手に入れようと、受験で学歴を得たり、資格を取ったりする。つまりはたくさん稼いで、それでようやく自由な時間が手に入ると思い込んでいるのです。が、そうではありません。 自由な時間は、いきなり、なんの努力もなしに、返済不要で、命ある限り、いくらでも手に入るのです。ひきこもりさえすれば手に入るのです。あまりにも怖ろしい真実なので、自由な時間を手に入れた、私やあなたも、まさかこんな奇跡が、救い主様の力も借りずに手に入るなんて思いもしなかったのでしょう。 狼狽し、申し訳ない気持ちになり、神様のご加護を独占してはいけないと、自分自身を責める、ふりをする、勉強をする、ふりをする、働きたい、ふりなどをして、苦悩を演出し、甘えちゃいけない、汗水流して働きたいなどと虚言を吐いて、まあひとことで言えば、茶番劇を日々繰り返して、それでいて、なにもしない、それでいて、なにかをするという、無限の自由な時間を手放さずに暮らしておるわけです。 こんな手の込んだ芝居をする必要はないのです、正々堂々と先延ばしすればそれでいい。居直っているんじゃない、クサい芝居をもうやめよう、ということなのですよ。