「諦めないでがんばろうって」五輪期間に能登の子供たちが独仏訪問。スポーツを通じた心からの交流と広がる支援の輪
当たり前のことが当たり前にできない苦しさがある。仮設住宅では隣の声がかなり響くという。大人は我慢できるが、小さな子どもたちさえも声を潜めて暮らすのは過酷すぎる。とはいえ、外で思う存分遊べる場所もほとんどない。それこそサッカーのトレーニングが行なわれていた場所に仮設住宅が建てられたりする。大きな震災だ。復興が難しい立地条件というのもあるだろう。わがままを言ってはいい状況ではないのは誰もがわかっている。でも、何もかもを子供たちが我慢しなければならないというのは絶対によくない。「半分だけでもグラウンドを返してよ」という子どものつぶやきを聞いた。僕らは何と答えたらいいのだろう。 フライブルクに話を戻そう。翌日には市内の集会所を借りて、被災地報告会が行なわれた。震災で心に傷を負った子供たちが一人でも楽しい体験をして、素敵な思い出を胸に家へ戻り、ポジティブな空気を少しずつでももたらしてほしいという願いが企画サイドにはある。でも子供たちが参加しようとした決意したのは、被災地の現地情報を自分達の声で伝え、支えてくれた世界への感謝の思いを届けるためだった。 被災後1か月間カップラーメンしか食べるものがなくて「もう一生分食べました。もう食べたくありません」と話した子がいた。別の子は「体育館が壊れてて、その次に広い給食室の床で寝ることになっていたので、ダンボールを敷いて、寝袋かぶって寝てました」と淡々と語った。被災時祖父母宅にいたことで二次二次避難をすることになった子は避難先の学校で「2か月間、自習室で勉強してました」と当時を振り返っていた。地震後に起きた輪島の大火災を避難先の山の上から「何も考えられなかった」と呆然と眺めていた子がいた。そして震災で母親と祖母を亡くした子がいた。「崩れる音と叫び声が長時間聞こえて、怖かったです」と静かに話す声を僕らはじっと真剣に聞いた。 子供たちはフライブルクとナントで行なわれた報告会で「みなさんのサポートに感謝しています。ありがとうございました!」という言葉を残してくれた。いや、感謝しなければならないのはこっちだ。 ニュースでしか知らない話。イメージ以上に深刻な現地の話。自分たちにできることはなんなのかと考えるきっかけをくれた話。 彼らの思いはパリオリンピックのサッカーU23男子代表と女子代表にもパワーをもたらした。パリではそれぞれの試合を観戦。女子代表では予選リーグのブラジル戦を会場で応援した。試合後には池田太監督をはじめ、石川県金沢出身の北川ひかる選手をはじめ、みんなが彼らのもとに足を運び、サインを書き、写真を撮り、言葉を交わした。密着取材をしていたIOCがこの機会を作ってくれたのだという。 敗戦ムードが漂うなか、終盤の2得点で日本が劇的な逆転勝利を挙げた試合だ。子どもたちは「最後まであきらめないで戦う姿勢の大切さを学びました!」と語っていたが、諦めないで戦うことの大切さは、きっと女子オリンピック代表のみんなが彼らから受け止めたことではないだろうか。 子供たちはパリとナントとフライブルクの日々を「すごい楽しかった」と話してくれた。「地震のことを忘れるくらいに」とも。フランスのナントでもフライブルクでも別れの日には涙を流していた。 「地震のことを話して辛かったとかじゃなくて、ナントの方々もフライブルクの方々もいい人過ぎて。離れたくないくらいいい人過ぎて泣きました」 フライブルクからパリへと向かう日、ホームまで見送りに来たステイ先の日本人はみんなの分のおにぎりをたくさん作って彼らに手渡した。そこに込められた思いとともに、噛みしめていただいた。心に少しずつ様々なポジティブエネルギーがたまっていったことだろう。