樋口恵子「高齢者ひとりでも大丈夫」と思いたいけれど、全然大丈夫じゃないと老いて実感。同居家族がいても「おひとり死」はありうることと心得るべし
◆同居家族がいても「おひとり死」はありうる 私には上野千鶴子*1さんという勝手に目標としている16歳年下の論客がいます。仲はいいのですよ。ただある意味、私のほうが上野さんに近寄った、ともいえるかもしれませんが。 上野さんは「おひとりさまの老後は誰にでもやってくる」と言っていますが、そのとおりだと思います。 近年は交通事故で亡くなるおひとりさまよりも、お風呂で亡くなるおひとりさまのほうが多い。それよりもさらに、自宅の周辺で転倒して亡くなるおひとりさまが多い。 つまり、「昼間ひとり死」。上野さんがわざわざ「おひとり死」と旗を振らなくても、どんどん後続部隊は押し寄せているのが現状です。 私だって以前に転倒したとき、打ちどころが悪く長く気絶してしまっていたら、「昼間ひとり死」ということになったかもしれないのですから。 私は娘と同居していますから、国勢調査的にはひとり暮らし高齢者ではありません。 でも日中、娘は仕事で家にいないので、実質的にはひとり暮らし高齢者と同じ。こういう「隠れひとり暮らし高齢者」がごまんといるのが現代社会です。 昼間ひとりになるのであれば、家族がいるからといって「おひとり死」にならないわけではないということを心得ておく必要があります。 *1 上野千鶴子:社会学者。1948年富山県生まれ。京都大学大学院修了。東京大学名誉教授。認定NPO法人「ウィメンズアクションネットワーク」理事長。女性学・ジェンダー研究のパイオニア。著書に『おひとりさまの老後』『家父長制と資本制』など。
◆かかりつけ医 そして、医者の死亡診断書というものも、このところ急速に変わりつつあります。 自宅で亡くなった場合、家族がいれば市区町村の役所へ医者の死亡診断書を提出すれば葬式が出せるわけです。 しかし、すべての医者が、近所に住んでいるからといって診断書を書いてくれるとは限りません。 かかりつけ医といっても、往診しないのであれば本当にかかりつけ医といえるのかどうか。 今その定義をどうするかについて、日本医師会と厚生労働省が協議している最中ですので、結論を待ちたいと思います。 だから皆さんに注意してほしいのは、「本当にかかりつけ医はいますか?」ということ。自分が死んだら、きちんと死亡診断書を書いてくれる医者を探しておくことが大事です。 ※本稿は、『老いの地平線 91歳 自信をもってボケてます』(主婦の友社)の一部を再編集したものです。
樋口恵子
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