和田秀樹さんが明かす「ほとんどの人が認知症になる」事実 必要な老後の準備とは?
人生の終わりを意識するにつれて、終活を考える人も多いでしょう。しかし、本当に大切なのは、今を思いきり楽しむことではないでしょうか。精神科医の和田秀樹さんは、書籍『本当の人生』(PHP研究所)で、自身の経験を交えながら、「今を楽しんで生きる」ことの大切さを説きます。 【心を照らす言葉】生きる意味がわからなくなったら… ※本稿は、和田秀樹著『本当の人生』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
いつ死ぬかわからないから、終活より今を楽しむべき
歳をとると多くの人が気にする言葉に、「終活」というものがあります。人生の終わりのための活動の略ということで、人生の最期を迎える準備という意味で使われるようです。 確かに、自分が認知症になってしまったとき、子どもたちが成年後見制度の申請などをして、それを裁判所が受け入れてしまうと、自分のお金なのに、後見人に選ばれた子どもの判断でしかお金が使えないことになり、たとえばアイスクリームを買ってきてくれという自分のささやかな願いさえも、拒絶されることがあります。 そういう意味で、自分の頭がしっかりしているうちに、任意後見の制度を使って、信頼できる子どもなり、弁護士なりに、後見人を頼んでおくに越したことはないと私も思います。 そういう自分のための終活とか、晩年の準備まで否定する気はないのですが、子どもに迷惑をかけないためとか、どうなるかわからない死後のための終活はあまり賛成する気になりません。 エンディングノートなるものが流行っているようですが、自分の思いを伝えるという目的と、亡くなった後に家族が困らないようにという目的があるようです。 自分にどんな財産があるかを、いちいち子どもたちが苦労して調べなくていいようにとか、お墓や葬儀の希望とかを書いておくわけですが、財産については、子どもに残す必要があるとは思いませんし、運よくお金が残ったのなら、それがほしければ、調べるくらいの手間を取らせても悪いとは思えないのです。 お墓についても、これだけの少子化の中、3代先までお墓を見てもらえると考えるほうが甘い気がします。葬式を立派にやってほしいと思う気持ちはわからなくもないのですが、そのときは自分は死んでいるので、少なくとも自分の目で見ることはできません。 人間というのは、100%死ぬことだけは確かなのですが、いつ死ぬのかは誰もわかりません。たとえば余命半年とか、2年とか宣告されたとしても、それは、その病気でその状態の人が平均で半年とか2年生きられるという意味です。だからそれよりずっと短い命のこともあれば5年くらい生きることもあるのです。 実は、宣告した余命より早く死ぬとヤブ医者と思われるし、長く生きると名医だとか先生のおかげと思われるので、短めに言うことが多いという話も聞いたことがあります。 ましてや、今元気で生きている65歳の人が、あと何年生きられるかはまったく読めません。平均余命というのがあって現在65歳の人は男性で約20年、女性で約25年生きるというのが平均です。それは目安になりますが、これもかなりの個人差はあります。 もうそろそろお迎えかなと思って終活をしたところで拍子抜けするくらい長生きすることもあるし、予定よりずっと早く死ぬこともあります。 ただ、限りある命であることは確かなので、終活などに無駄な時間を使うより、今を思いきり楽しんだほうがいいというのが、長年、高齢者を見てきた私の出した結論なのです。 もう一つは、死を意識しながら生きていくことが、あまり得策と思えないのです。確かに、たとえば血圧が高いから酒をやめろとか、食べたいものをがまんしろと言われたときに、「どうせ死ぬんだから」と開き直って、酒をやめないとか、塩分を控えたりしないという生き方を私は否定しませんし、むしろ勧めたいくらいです。 でも、それは死を意識するというより、今を楽しむことが主題になっているはずです。終活のように、死んだときに子どもに迷惑をかけないようにとか、死が近いからいろいろなものを整理しておこうと、死を意識しながら生きることは、逆に今を楽しめなくするように思えてならないのです。 いつ死ぬかわからないから準備をするというのなら、後悔しないように、楽しみを後回しにしないで、先にやっておこうとか、今のうちに金を使っておこうというのが、高齢者にお勧めしたい死の準備ではないかと考えています。