自由な食事、ひとり暮らしでハマったアイス 栄養士の卵のはたちメシ 今食べると「やっぱりおいしい」
二十歳の頃、何をしていましたか。そして、何をよく食べていましたか? 久しぶりに食べた「はたち」の頃の好物から、あなたは何を思うでしょうか。今回は、二十歳の頃に栄養系の大学へ通っていた女性の、ちょっと意外な「はたちメシ」です。(ライター・白央篤司) 【画像】ひとり暮らしでハマったアイス 今食べると…「やっぱり、おいしい」 <川村直子さん:1978年、青森県八戸市生まれ。19歳になる年、進学のため上京。女子栄養大学を卒業後は食品会社、病院勤務を経て清掃会社に就職。現在、東京都西東京市にひとり暮らし>
「二十歳の頃、何をよく食べていましたか」という質問を投げて、川村さんから返ってきた答えは「カルピスのアイスバー」というものだった。ちょっと、意表を突かれる。 「ひとり暮らしを始めた頃でした。食べもの含めてなんでも自分の好きにしていい、という状態がうれしかったんです。ごはんをちゃんと食べずに、アイスだけで済ませたっていいんだ、なんて思って」 川村さんは当時、上京して栄養学系の大学に通っていた。2年生までは寮住まいで、朝夜は栄養を考えられた食事が出る。 昼は学校で済ませ、調理実習などもある日々。いわばアイスバーは自由の象徴、管理されたごはん生活の反動だったのか。 「そう……ですかね(笑)。でも、すぐ飽きました。ごはんを食べないと力が出ないなって。規則正しく食べることで時間の流れがはっきりするというか、うまくいってる部分があると分かって」 ときに逸脱することで、何気なく歩いてきた道の良さが分かったりもする。「何をしてもいいんだ!」という解放感にわくわくしたという川村さん、家はきびしい感じだったのですか? 「いえいえ、両親は口うるさいほうじゃないです。父はNTTの技術関係で、母は県職員の保健師で、ずっと共働き。母の料理が好きでしたね。特に好きだったものですか? カレーかなあ。にんじん、じゃがいも、玉ねぎにお肉の入ったバーモントカレー」 耳を傾けていたら、ごろっと切られた野菜が見えてくるようだった。 食べたらお皿は各自で洗うのが家のルール。川村さんには妹がふたりいるというから、お母さんは一家5人分の材料を用意して、毎日調理していたことになる。 「ビールを飲みながら作るんですよ。仕事から帰ってきて疲れてるだろうに、栄養も考えてくれてて、すごいなあって思ってました。あるとき『あたしは料理が好きじゃないんだよ』なんて言って、驚きましたね。そして20時になったら必ず自分の部屋に行く。本を読むとか、自分の時間を作るようにしていたんだと今になって思います」