「キャンパスなんて狭い。オンラインで越境を」――「コロナ世代」の大学生に、上野千鶴子が伝えたいこと
「商業主義フェミニスト」と言われたけれど
それでは、弱者にならないように努力し、勝ち抜き戦の強者として生きるように子どもたちに教えればよいのか。誰もが強者になれるわけではありませんし、強者だっていつまでも強者でいられるわけではありません。弱者が身を守るために必要なのは、孤立しないこと。これは基本のキです。弱者は孤立しがちだし、こんな目に遭っているのは自分だけだと思う傾向があるからです。大事なのは、安心して弱みを見せられること。「弱さの情報公開」という言葉があります。 例えばかつて妻たちは長い間、「夫に殴られているのは私だけだ」「夫に殴られてるなんて恥だから、絶対他人には言わない」とか、思ってきました。それぞれがそう思っている間は互いに孤立していました。けれど口に出してみたら「あるある」でした。それでデータを取って根拠をつくり、実証研究して理論を組み立て、概念をつくって、DV防止法までこぎつけました。 大事なのは、安心して話せる相手、メッセージが届く相手を見つけること。話す人を間違えると、かえって萎縮して、「もう二度と誰にも話さない」となる場合もあります。 私は40年ほど前に、女性学をつくる動きに加わりました。それまで存在せず、のちにジェンダー研究と呼ばれるようになった学問です。その過程では、抵抗にもあいましたし、嫌がらせもありました。でも、書き手と読み手を同時に育てることで、マーケットをつくってきました。どんなに情報を発信しても、その情報が正しくても、受け手がいないと意味がない。マーケットが大きくなったら、無視できなくなります。「商業主義フェミニスト」などと言われましたが、「悔しかったら売れてみろ」と思っていました。
弱者の武器はことばです。そしてそれを共有できる仲間をつくること。ニッチを見つけて、仲間をつくり、自分が必要とされる場所をつくっていけば、マーケットは確実に変わっていきます。 今はネットと当事者運動のおかげで、いろいろなマイノリティーのコミュニティーが増えました。10万人に1人の難病患者コミュニティーも、LGBTQのコミュニティーも、ずっと見つけやすくなった。ネットは情報の民主主義のツールです。 生き延びようと思えば、もう一つ大事なのは、売り物になるスキルを身につけること。語学力でも、マッサージの技術でも、他人が必要とするスキルです。私がずっと学生に言ってきたのは、「おまんまを食べるというのは、他人さまの役に立つこと」。だから、“好き”を仕事になんて、とんでもない。「“好き”を仕事に」というのは、誰の呪いなんでしょう。好きなことは持ち出しでもやるものです。そんなものが金になると思うのが間違っています。