「キャンパスなんて狭い。オンラインで越境を」――「コロナ世代」の大学生に、上野千鶴子が伝えたいこと
大切なのは、大学生活4年間に限らず、さまざまな選択肢を考え、自分のスキルを伸ばし、経験を蓄積すること。インターンとして働く時期があってもよいでしょう。多方面で自分に投資する。大学はその投資のワン・オブ・ゼムの選択肢にすぎません。 企業に就職するにしても、30年後にその企業がどうなっているかは分かりません。私は内定の決まった学生に必ず言うんです。「おめでとう、よかったわね。でもあなたの会社、定年まであるかしら」って。企業組織の平均寿命は、人の寿命より短いですから。20歳ぐらいの時から人生100年を考えて、マルチスキル、マルチチャンネルを獲得してほしい。学生たちがこれから出ていく社会は、何が起こるか予測できませんから。
大学教師も、オンライン授業ができないと淘汰される
今後、ロスジェネ世代と同じように、「コロナ世代」という就職氷河期にぶつかる人たちが出てくる可能性はあります。コロナ禍が終わって経済がV字回復しても、好況の影響を受けるのは新卒採用市場だけ、既卒は影響を受けないかもしれません。それというのも、新卒一括採用・年功序列制という日本型雇用が、いまだに影響力を持っているからです。 でも、今、日本型雇用は転機を迎えています。厚生労働省の通達によれば、この4月から、従業員301人以上の大企業に中途採用比率の公表が義務化されるそうです。日本型雇用を崩そうと、企業も政府も考えているようですね。日本はずっと、スキルや資格が給与に影響しないというふしぎな社会でした。それがやっとメリトクラシー(能力と業績によって地位が決まる社会)になっていくかもしれません。 逆に言えば、キャリアがなくスキルもない新卒の人たちは、不利になる。そうなると、インターン制度を経験したとか、資格を持っているとか、そういうことが労働市場で重要になるでしょう。
今、経済学者は格差がさらに開くと予想しています。日本は格差オッケーという政治を30年以上続けてきました。「自己決定・自己責任」の原則が定着し、有利な立場に立っているのはその人の努力と能力のおかげ、落ちこぼれた人は努力と能力が足りなかったから、と格差を正当化する方向へ舵を切り、それを受け入れる社会をつくってきました。人災だとつくづく思います。 以前は格差が小さい社会でした。大企業と中小零細企業で働く新入社員の給料格差が相対的に小さく、国民の8割が自分の暮らし向きは中流と答えるような社会。それを、「競争を激化しろ」「そのためにさまざまな規制を緩和しろ」とやってきました。 子どもたちにも、「競争に勝ち抜きなさい」という教育をしています。私は大学生とも高校生とも話す機会がありますが、多くの学生が「自分が努力すれば勝ち抜ける。公正な競争こそが正義だ」と思っているようです。 格差オッケーで、がんばった人はたくさん報われるという市場原理のもとで、自分を守っていかなければならない現状です。サステイナブルより、サバイバルです。「オンライン階級」という言葉もついに現れました。私たち大学教師も、オンライン授業ができないなんて言ったら淘汰されます。大学生が有利なのは、高等教育を受けるなかで、語学リテラシーと情報リテラシーを身につけられること。これは、必須になりました。