小学1年で発症 「起立性調節障害」の診断書を担任は信じなかった 26歳でたどり着いた症状との向き合い方 「この病気には希望がある」
復学に向けて学校外での“精力的な活動”で体調をチェック
休学から1年後、たきさんは復学するも、2022年に再び体調が悪化。朝から授業がある日は起きた時点で、フラフラ。洗顔時に立っているのも辛かった。 「なんとか学校へ行けても座ると脳の血流が下がるので、授業が頭に入ってこなくて。授業を抜けて校内にあるラウンジのソファーで眠ることもありました」 いっそ、中退しようか。そう思ったが、親から「もう一度、休学してから考えよう」と言われ、再び休学を選択。半年ほど経つと体調が落ち着いてきたため、たきさんは学校外での活動に力を注ぎつつ、登校できる体調になってきたかをチェックすることにした。 活動的なたきさんは、小5の頃から参加していた教育委員会主催のキャンプでスタッフとして働いたり、子どもと関わる仕事に携ったりしたそう。その中で、「この体調なら大丈夫」と思え、大学に復学や就活の相談をした。 すると、キャリアセンターから就活対策としてインターンを勧められたため、隠岐の島へ。なんと、3カ月間、島暮らしをしたのだ。 「地域活性化に興味があり、島が好きだったので決めました。朝8時半に役場へ出勤する生活を3カ月間送れたため、さらに自信を持って復学できました」 その後、たきさんは就活を無事に終え、内定を獲得。来春から新しい道を歩む予定だ。
学業の傍ら、フリースクールの広報に力を入れる
起立性調節障害があったから、やりたいことがあった時は体調面を踏まえてできるかを判断し、様々な場面で自分の気持ちに目を向けなければならない人生だった。でも、それは体調が落ち着いた時、自分の長所になった。 そう語るたきさんは、起立性調節障害を抱えながら色々な経験をし、多くの山を乗り越えてきたことが自分の自信に繋がったと感じている。 「以前、私はボランティアサークルを立ち上げて起立性調節障害の子たちの居場所を作る活動をしていたんですが、最近5年ぶりにその子たちに再会したら、みんなピーク時より症状が落ち着いて、病気と上手く付き合いながら新しい道を歩んでいたので衝撃を受けました」 予期せぬサプライズに、たきさんは嬉しさを感じると同時に「根本的な治療に辿りつくのは難しいことも多いけれど、この病気には希望がある」と思えたという。 現在、たきさんは学業に励む傍ら、フリースクールのスタッフとして奮闘中。当事者のもとにフリースクールの情報がより届きやすい社会になるよう、できる努力をしている。 現在、チャレンジしているのはメディアプラットフォーム「note」を活用した、情報メディア「ヨリミチ」の運営。 「ヨリミチ」では一般的な公立や私立の学校とは異なり、独自の教育理念や方針のもとで運営されている「オルタナティブスクール」やフリースクールなどで働くスタッフの“ホームページでは知れない想い”を配信。この発信法は、行政とnoteが業務提携して情報を発信する斬新な広報の形からヒントを得て始めた。 「知らないからこそ書ける情報は貴重なので、僕自身も所属している学生団体に取材や記事執筆をしてもらっています。学生側は色々な大人と関われ、知らない世界を知れる。フリースクール側は人手が足りなくて広報に手が回らないところも多いので、Win-Winです」 そう話すたきさんは起立性調節障害仲間に、温かくも力強いエールを贈る。 「最終的な決断は、自分で行う人生にしていってほしい。まずは関心があることに目を向け、その中で色々な大人に出会い、色々な人生選択があることを知ってほしいです」 また、たきさんは大人の心に刺さるメッセージも口にする。 「起立性調節障害の子を持つ親御さんは我が子を肯定し、本人の決断を尊重してほしいです。選択肢を与えあげることは大切ですが、最終的な決定権は本人にあってほしい。私は自分で選んだ決断の先で色々なものに触れたことで、治療法が見つからなくても心が豊かになったから」 このメッセージは病気の有無に限らず、親心に響くことだろう。たきさんの生き方が、起立性調節障害との向き合い方に悩む親子に届いてほしい。 (まいどなニュース特約・古川 諭香)
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