だから「健康な中華」という新常識を作れた…「ぎょうざの満洲」女性社長が創業者の父から言われたひと言
埼玉県に本社を持つ「ぎょうざの満洲」の社長、池野谷ひろみさんには経営をする上で大切にしている言葉がある。前職の専門商社時代、仕事に悩んだ際に父からかけられた言葉だという。経済ジャーナリストの高井尚之さんがリポートする――。(後編/第2回) 【写真】本社横にある川越工場 ■創業者である父と2代目になった女性社長の親子関係 (前編よりづづく) 中華チェーン「ぎょうざの満洲」(本社:埼玉県川越市)は現在、直営で103店(2024年9月現在)を展開。店舗は本拠地・埼玉県と隣接する東京都に多いが、関西にも進出。大阪府(8店)や兵庫県(2店)にも店を持つ。 主力商品「餃子」は、埼玉県坂戸市の坂戸工場と大阪府吹田市の江坂工場で日に約38万個を製造。川越本社・工場はスープやタレ、惣菜、デザートを担う。商品は自社トラックで各店舗に運ぶ。 創業者の金子梅吉氏は、創業60周年の新事業年度がスタートした2023年7月1日に相談役となった。1998年に就任して業績を拡大してきた池野谷ひろみ社長(金子氏の長女)が名実ともに社業のかじ取りを担う。 同族経営の父娘関係はさまざまだ。関係が悪化する例もある。どんな親子関係なのか。 「子ども時代から親に反抗することはなかったですね。私が生まれた時、父は牛乳販売店を経営した後、中華料理店「満洲里」を開業しました。自営業なので家族旅行なども行っていません。でも、ずっと働く両親を見てきたので不満にも思いませんでした」 池野谷社長はこう話し、前職の専門商社勤務時代のエピソードを明かす(以下、発言は同氏)。
■「自分のために働きなさい」 「私は短大卒業後に東京・新宿にある食品も扱う専門商社に入社しました。最初は人事・総務を担当していました。その仕事は楽しく自分に向いている仕事だと思っていたのですが、2年後に突如、システム開発部に異動となったのです。希望を出したわけではなく、望まない部署だったので、目の前は真っ暗。会社を辞めるかどうか非常に悩みました」 当時は所沢市の自宅から新宿まで長距離通勤する会社員。一方、家業の「ぎょうざの満洲」店舗は10店ほど。先頭に立って働く社長の金子氏とのすれ違い生活は続いていた。そんな状況で、悩む娘に対し父がかけたのは「会社のためではなく、自分のために働きなさい」という言葉だった。 「その言葉の真意を問いただしたわけではないのですが、『仕事を与えられる』受け身の立場ではなく、能動的に働けば道が開けるという意味だったと今になって思います。当時の私の心にはスーッと入ってきて、自分のために働いてみて楽しくなればいいし、ダメなら仕方ないと思いました」 父の言葉通りにしてみると、不慣れだった情報システムの仕事を学ぶうちに興味が芽生え、徐々にスキルも上達した。当時は目新しかったエクセルを導入した時は各部署への教育係も務めたという。 充実していた会社員生活だったが結婚と同時に退職。家事に専念しようと思っていた矢先、父に「結婚式まで日があるなら、うちの会社を手伝って」と言われ、1986年に入社する。式までの腰掛け気分だったが仕事が面白くなり、そのまま在籍した。 ■「嫌われ役」でも屈しない 「入社して感じたのが、会社のシステム化の遅れです。前職の経験を生かして表計算ソフトや経理ソフトを導入するなど、社内業務をシステム化していきました」 「ウィンドウズ95」が日本に上陸したのが1995年。その9年前の話だ。当時は個人が使うパソコンはなくオフコン(オフィス用コンピュータ)の時代。多くの会社では「社内のOA化(Office Automation=定型業務の自動化)」が言われていた。 “20代半ばの社長の娘”の取り組みを好意的に受け止めた人ばかりではない。 「メニューレシピをグラム単位でマニュアル化した時、現場の調理人からは『俺たちは経験でやっているんだ!』と猛反発を受けました。職人のプライドを傷つけてしまったというところでしょう。 ですが、誰が調理してもお客さまにいつでもおいしい料理を提供するためには最低限“ぎょうざの満洲の味”を数値化し、味のバラつきをなくす改善が必要でした。また、食材の管理面や技術において彼らの業務負担を軽減することになる。 そうして現場の方たちに材料を計量する必要性を説いて回りました。創業者の父も調理部門にいた兄(利行氏、現・調理チーフ)も私を支持してくれたので、社内の意識は徐々に変わっていきました」 池野谷社長は「当時の私の役割は会社の課題解決係でした」と話す。「嫌われ役」を担った感もあるが、持ち前の明るさで「そこまで苦労は感じなかった」と語る。ベースにあるのは、本人の明るさと前向きな気持ち、なにより会社を思う気持ちだろう。