福島原発事故、「現代の田中正造」は何を訴える。1審だけで9年「井戸川裁判」傍聴記(後編 )
――10キロ圏内からの避難指示はどのような形で聞いたんですか。 「避難していると近所で言うと、『あんたら国の税金で賠償もらって、遊んでていいもんだ』と言われます。遊んでいるわけじゃないんです。働く場がないんです。みんな我慢して生活しています」 ――あなたは今、双葉町(ふたばちょう)を訪れることはありますか。 井戸川が最も力を込めた訴えも届かなかった。 「放射能を被ったことのない、避難を経験していない、故郷を奪われたことのない人たちが、被災者を排除してあれこれ勝手に決めている。(国が一方的に定めた)中間指針、避難指示解除もそう。この事故の対応は嘘の塊だと思います。私は絶対に許すことができません」
――あなたの現在の生活状況を教えてください。今、どこで生活していますか。 この事故の賠償は国の避難指示と連動しており、基本的に避難指示が解除されれば、それ以降は支払われない仕組みだ。この避難指示(および避難指示解除)の基準が年間20ミリシーベルトで、事故から約6年が経っても20ミリシーベルトを下回らない地域は「帰還困難区域」とされる。帰還困難なので、戻ることを前提とする「避難」として国や東電は扱っていない。
被災者による賠償の請求には、①直接請求、②ADR(裁判外紛争解決手続き)、③損害賠償請求訴訟――の3つの経路がある。井戸川は国が定めた中間指針を完全否定して訴訟を起こしており、直接請求をしていない。 井戸川が町長を辞めて12年近くが経った。日々の生活費以外に、埼玉県の加須駅前に「東電原発事故研究所」と称する事務所を構え、原発事故に関する書籍を片っ端から取り寄せている。それらの原資はどこから出ているのか。井戸川は明かさないものの、おおよその察しはついていた。井戸川の〝兵站線〟を東電の弁護士は容赦なく攻め立てた。
■井戸川を貶める東電代理人弁護士の尋問 ――町長を退職した後、日々どのように過ごしていましたか。 「裁判の準備をしていました」 ――仕事はしていなかったのでしょうか。 「やっていません」 ――ふーん、そうですか。これは株式会社〇〇の東京電力への損害賠償の請求書です。給与受給者のところにあなたの名前があります。給与支払者はあなたの奥さんで、平成25(2013)年2月の(町長)退職の日以降、支払いが開始されている。〇〇の仕事はしていないのでしょうか。お答えください。