福島原発事故、「現代の田中正造」は何を訴える。1審だけで9年「井戸川裁判」傍聴記(後編 )
国の代理人はほとんど質問しないまま、午前と午後で計3時間に及ぶ尋問が終了した。裁判長は2025年2月5日の次回口頭弁論で結審し、同年7月30日の判決を言い渡す方針を表明した。提訴からちょうど10年での一審判決となる。 閉廷後しばらくして井戸川が東京地裁前の歩道に現れた。足取りはおぼつかず、目は充血して真っ赤だ。疲労もあるだろうが、公開の法廷で自身の家族や生活に土足で踏み込まれて動揺しない人間はいない。
それでも井戸川は尋問を傍聴した30人ほどの支援者に向かって呼びかけた。 「私に反論されるから、彼らはゴミみたいな話をずっと私にさせました。ガッカリしたら大間違いですよ。あれで裁判所が被告を勝たせるようなら、日本は法律のない国ですね。これに懲りず来年2月5日に向けてご支援いただければと思います」 ■田中正造と井戸川克隆、その共通性 精一杯の強がりに聞こえた。井戸川は司法に絶望したに違いない。 井戸川が裁判に求めたものは、字面だけの勝訴判決でもないし、残りの人生で使いきれないほどの巨額の賠償金でもない。井戸川が求めていたものは、国策の誤りを満天下に示し、偽りの復興をたたきのめす闘技場だった。だが井戸川の真摯な望みを収めるのに、法廷は小さすぎた。
「原発事故が起きて国家が無法を働き、道理が届かない世界になった」 井戸川はしばしばそう嘆く。 その一途な姿は、日本最初の公害・足尾鉱毒事件で、国家の無法と闘った明治期の義人・田中正造と重なる。 示談金と中間指針、遊水地と中間貯蔵施設、谷中村と双葉町……。名ばかりの償いで国民を欺き、被害者にさらなる犠牲を強いて、すべての幕引きを図る非情な国策は100年以上が経っても何も変わらない。そして純粋でありすぎるがゆえに、周囲から人が離れていった田中正造と井戸川克隆も酷似している。
国家の働いた無法は、政府の公文書や裁判の判決文によって歴史に刻まれるものではない。たとえ独りになっても現場から離れず、矢尽き刀折れても闘い抜いた義人の生きざまを通してのみ語り継がれる。 渾身の訴えも聞き届けられず、生きる術を貶められたこの日の尋問は、井戸川克隆という原発事故を象徴する義人が受けた苦難の1ページとして歴史に刻まれる。=敬称略=
日野 行介 :ジャーナリスト・作家