2歳で漢字を覚えた「ギフテッド」の息子が抱える悩み…小2で不登校になり”救われた”と感じた理由
池添さんの支え
それらをアドバイスされて以来、その日のことを聞きたくなってもぐっと我慢した。そんなタマキさんに池添さんは「我慢してたらお母さんもしんどくなっちゃう。困ったときは私達に言ってくれたら一緒に考えるから」と言ってくれた。親のストレスは子どもに向かいがちだ。 「私自身の気持ちを代弁してくれるような人がいるんやと思って、すごく安心しました」(タマキさん) 幼稚園は自由な雰囲気で子どもの特性への理解もあったが、クリスマス時期の劇の練習になると先生たちに「しっかりやりたい」といった緊張感が少しあった。そんな変化に敏感なアキヒロくんが疲れているように見えたのか、池添さんは「休憩を上手にとるようにしてあげてほしい」と園に頼んでくれた。 タマキさんは「園や学校に、子どもに休憩を与えて欲しいなんて頼んでいいのかなと遠慮する部分が少なからずありました。でも、言っていいんだと知って、ホッとしました」と感謝した。
不登校が救いに
卒園後は公立小学校へ。時折行き渋りはあったものの、頑張って通っていた。が、小学2年生の夏休み明けしばらくして不登校になった。きっかけは、同じクラスの女の子が始業式から休んだことだ。 「そこで自分も休んでいいんだと思ったみたいです。私たち家族にとっては救世主っていうか。よくぞ休んでくれたって思いました」 多くの親たちが動揺する不登校を、タマキさんはプラスに受け取った。息子が学校のストレスで不眠症になっていたからだ。無理しないで休んだらと勧めても「頑張って行く」と聞かなかった。わずか8歳で疲労困憊になりながら学校へ行こうとする姿が不憫でたまらなかった。 2年生の終わりごろ、ようやく専門医の診察を受けた。開口一番「発達障害ではありません」と言われた。さらに「この子はいろんなことをよくわかっている。理不尽さもよく理解している。達観しています。だから、君はこのままでいいんだよ」と、ギフテッド的な特性を心理的にかみ砕いて教えてくれた。 君はこのままでいい。君はこのままでいい――。 医師の言葉を、タマキさんはこころの中で何度も反芻した。微笑んだわが子の顔が涙でかすんだ。 ◇後編【「いいお母さんはしなくていい」ギフテッドの息子と“不登校支援シート”を使って気づいた親子の本音】では、不登校のアキヒロくんと向き合いながら、学校へと関わっていくタマキさんの行動を具体的にお伝えしていく。
島沢 優子(ジャーナリスト)