「筑紫君」ヤマト王権と争い歴史から消えた大豪族…九州歴史資料館で考古遺物と文献から実像検証する特別展
特別展は、歴史から消えた後の筑紫君一族の「その後」の動向についても焦点を当てている。
書紀は磐井の敗死後、子の葛子が博多湾沿岸にあった支配地「糟屋屯倉」を献上し、死罪を免れたことを伝える。篠川名誉教授は「筑紫君は外交権を失ったものの、一族は滅亡しなかったことを示している。葛子は筑紫国造に任じられ、一定の勢力を保ったまま、ヤマト王権の一端を担ったのではないか」と分析する。
実際に岩戸山古墳では6世紀前半~7世紀前半頃の土器が出土しており、会場でも確認できる。八女地域で作られ、筑後平野を流れる筑後川や熊本県北部の菊池川の流域に流通したもので、磐井の死後も地域独自の文化が維持されたことがうかがえる。岩戸山古墳は一族の墓として約100年間使われ続けた。
同古墳を含む八女古墳群や、菊池川流域の古墳では、6世紀後半以降の石製表飾も確認されている。歴史書から名が消えても、地域独自の文化や風習は根付き、受け継がれたようだ。そのことを考古遺物から解き明かした意欲的な特別展と言えるだろう。12月8日まで。