波紋を広げた石破首相の外交・安保構想、米国からは冷ややかな視線 立憲はトラウマ背に現実路線
10月1日に就任したばかりの石破茂首相は、これまでの自民党出身の首相とは違ったアプローチで、外交・安全保障政策を展開しようとしている。日米地位協定の改定や、アジア版NATO(北大西洋条約機構)の創設……。国内だけではなく、外国にも波紋を広げた首相の構想は、新しい日本外交のかたちを描き出すのだろうか。 【図解】主要6党が公約で掲げる外交・安全保障政策①
「安全保障、防災、地方創生の三つがライフワークだった。それを実現するために総裁になるんだ」 自民党総裁選を1週間後に控えた9月20日午前、東京・永田町にある衆議院第2議員会館。毎日新聞の単独インタビューに応じた就任前の首相は、ゆったりとしたそれまでの口調を一変させて語気を強めた。背にした書棚には、国防に関する書籍がずらりと並んでいた。
防衛族「石破カラー」とは
首相は、防衛庁長官や防衛相を歴任した党内きっての防衛族議員。総裁選で「最後の戦い」を宣言して掲げた政策集には「安全保障基本法の制定」や「日米地位協定の改定の検討」「地域の多国間安全保障体制の構築(アジア版NATO)」といった渾身(こんしん)の政策を盛り込んだ。いずれも現行の安保体制を大きく転換させうる刺激的な構想で、自らのカラーが前面に出た内容だった。「自分がやりたいことをどうしても実現したいという思いは、今までの4回よりはるかに強いものがある」。5度目となる総裁選挑戦での悲願の勝利に向け、熱い思いをたぎらせていた。 その11日後、第102代首相に就任した。ところが、政権の基本構想を語る場として注目を浴びた所信表明演説やその後の国会論戦などで、構想を「封印」した。衆院選の党公約にも「日米地位協定のあるべき姿を目指す」と触れただけで、石破カラーが早くも失われたとの落胆と批判の声が交錯した。
日米関係「対称」に
日本の外交・安保政策の根幹は、同盟国米国との関係のあり方だ。首相は日米安保条約を「米国は日本の防衛義務、日本は基地提供の義務」を負う仕組みと分析。「非対称双務条約」だと断じる。 同条約に基づく在日米軍の身分などについて定めた日米地位協定についても「運用改善で対処してきたが、そろそろ限界なのではないか」と問題視しており、国内での訓練用地不足に直面する自衛隊が米国で訓練できるようにする「在米自衛隊地位協定」の締結や在日米軍基地の共同管理を訴える。 数々の訴えの背景には、実体験がある。2004年8月に米軍の大型ヘリコプターが沖縄県の沖縄国際大に墜落した事故だ。日本の警察は地位協定に阻まれて現場に立ち入ることさえできず、日本政府は厳しい世論の批判にさらされたが、当時、防衛庁長官だった首相は、批判のまっただ中に身を置いた。近年は政権中枢から距離を置き、時には「党内野党」と呼ばれたが、その間も安保政策の持論を磨き上げてきた。