【全文】ピース又吉氏「似合ってますかね? 金屏風」芥川・直木賞受賞会見
《直木賞・東山彰良氏》
司会:続きまして、直木賞を受賞されました東山さんに会見をしていただきます。東山さん、最初に一言、ご感想をお願いします。 東山:このたび直木賞を受賞することができまして、本当にうれしく思ってます。今日はよろしくお願いします。 司会:それでは、質問のある方、挙手をお願いいたします。じゃあ、そのスーツの方。 読売新聞:読売新聞のカワムラと申します。受賞おめでとうございます。 東山:ありがとうございます。 読売新聞:今回の小説、東山さんにとっては初めて本格的に家族を書くことに向き合った小説だと思うんですが、今回、家族を書くということを決断した理由と、あとその東山さんにとって家族というのはどういう存在なのかという部分について一言。 東山:もともとはデビューをした当初から祖父の物語を書こうと思っていたんですが、自分にその力があるかどうかちょっと分からなかったものですから、今回の小説っていうのは実は父親をモデルにして書いておりまして、本当に書いてる間はとても楽しく書くことができまして、こういう形に結実することができて、本当にうれしく思ってます。家族の物語を書く意味ということなんですけれども、僕自身は台湾というところで生まれまして、で、日本で育ったんですけれども、そういうものにとってアイデンティティの問題というのは常につきまとうことで。 例えば小さいときは台湾と日本を行ったり来たりしていたんですけれども、どちらにいてもちょっとお客さん感覚っていうのがあって、で、そこの社会もなかなか受け入れられないっていうところがあったんですけれども、そんな僕にとってやっぱり家族っていうのは自分の確固たるアイデンティティが持てる場所ということで、後付けになるんですけれども、もしかしたらそんな思いでこの小説を書いたのではないかと、今は思っております。 司会:よろしいでしょうか。続いてご質問の方。じゃあ、毎日新聞。 毎日新聞:毎日新聞のナイトウです。おめでとうございます。 東山:ありがとうございます。 毎日新聞:今日は同じ153回の、もう1つの賞である芥川賞が、例えばその羽田さんと又吉さんというちょっと、それで今回のこの受賞会見も派手なことになりましたけども、その場に身を投じて思うことあれば。 東山:派手に会見になったことについて思うことですか。 毎日新聞:はい。 東山:非常に良かったと思います。皆さんが芥川賞に注目していただくついでに直木賞も注目していただければ、僕としては丸儲けだと思います。 司会:よろしいでしょうか。続いてご質問の方。じゃあ。 中央通訊社:台湾の中央通訊社の記者です。おめでとうございます。 東山:ありがとうございます。 中央通信社:今、台湾ではすごく皆さんうれしいです。台湾の人たちに一言お願いしたいです。 東山:はい。台湾っていうのは僕の国なんですけれども、いずれこの本がもし中国語に翻訳されることがあっって、台湾の読者にも届くことがあれば、本当にこれに勝る喜びはないと思っています。そろそろ僕も台湾の食べ物が恋しくなってきているので、近々帰りたいなと思っています。 司会:よろしいですか。はい。続いてご質問の方。あ、じゃあ、あのオレンジの方。 西日本新聞:西日本新聞、オオヤです。今日はおめでとうございます。 東山:ありがとうございます。 西日本新聞:今回初めて台湾を描いた物語で、これから書く作品について選考委員の北方さんは、もうまったく心配していないというふうにおっしゃっていました。受賞して、これから書いていく作品、どういうふうに書いていこうという思いがおありでしょうか。 東山:北方さんは心配ないと言ってくださってるようですごく心強いんですが、僕は心配だらけです。このように自分の記憶というか、家族の物語をある程度のフィクションにしてしまう。そして、それがこのような大それた賞をいただくということになったことについて、もしかしたら次もまた同じような家族の物語であったり、青春小説であったりというふうに期待されるかもしれないと思うと、もしかすると自分の可能性を狭めてしまうんじゃないかというふうにも思います。なので、次から書く小説はまた原点に戻って、自分が楽しいと思えるもの、またゼロから生み出せるようなもの、フィクションの色合いが強いものをこれからまたどんどん書いていきたいなというふうに考えています。 司会:よろしいでしょうか。続いてご質問の方。じゃあ、真ん中の。 読売新聞:読売新聞のムラタと申します。おめでとうございます。 東山:ありがとうございます。 読売新聞:今、東山さんがおっしゃった心配は北方さん、その辺はもう言っていらっしゃって、あらゆる方向に可能性を持っていると。それは青春小説とか、そういうもの、家族小説に限定ではなくというふうにおっしゃっていましたが、その中で北方さん、20年に一度の傑作だという、20年、20年だな。という言い方もされてましたが、まずその言葉を受けて自分でどういうふうに思っているかということと、あの作品の中に、人が死ぬとその人がいた世界まで消えてしまう、というような文章があったと思うんですが、それは家族ともつながってる部分かとは思いますが、それがある種の普遍性を消え去っていってしまう、何か記憶にとどめておきたい、言葉にとどめておきたいっていう普遍性を持つと思うんですが、その辺りについては意識されて書かれたのかどうかということをお教えください。 東山:そうですね。最初の質問なんでしたっけ。 読売新聞:20年に一度の傑作と言われた。 東山:ああ、それはえらいうれしいですね。で、なんでしたっけ、2番目の質問。 読売新聞:人が死ぬとその人のいた世界というものも消えてしまうと作品では書かれていて。 東山:でも、それは別にそういう詩的なものを狙ったわけではなく、ただ単に単純にそう、直感したというかですね。誰か大切な人が亡くなると、残された人はその大切な人抜きで生きていかなきゃいけないので、それをそういうふうに表現したというところだと思います。なので、別にそんなに奇をてらってとか、あるいはそのポエムを書こうと思ってそういう表現をしたんではないと思います。 司会:よろしいでしょうか。じゃあ、前列の眼鏡の方。 共同通信:共同通信のモリハラです。このたびはおめでとうございます。 東山:ありがとうございます。 共同通信:今、その20年に一度の傑作だという選考委員の評もあったんですが、選考委員からはもう満場一致であったと非常に高い評価を得ていました。一方で発表される前は、これは台湾が舞台でほとんど日本が登場しない小説である。で、日本人も登場しない小説であると。これが日本でどう読まれるかという不安もあったんではないかと思うんですが、これが一定の評価を得つつある、で、これが広く読まれることについて、どういうふうにお考えになるか、受け止めておられるのか。 それと、先ほど台湾は僕の国というふうにおっしゃいましたが、それと並んで日本というのはじゃあ、ご自身にとってはどういう位置付けになるのかというところも聞かせていただきますか。 東山:そうですね。台湾は間違いなく法律上の問題や手続き上の問題で僕の国なんですけれども、僕は5歳から日本で暮らして、途中行ったり来たりっていうのはあったんですけれども、基本的に9歳ごろからはずっと日本で育っていまして、自分の母国語は日本語だと思っています。日本語で小説を書くことはできても、中国語で小説を書くことは僕には不可能なので、そういう意味でも一番使い勝手のいい言葉が日本語だというふうに思っていますし、そこら辺は皆さんとたぶん同じで、日本という国に非常に愛着を持って、これかもずっとここで暮らしていきたいなというふうに思っています。 すいません。最初の質問なんでしたっけ。 共同通信:台湾が舞台で、日本人もあまり登場しない。 東山:ああ、そうですね。 共同通信:どういうふうに読まれるか。 東山:はい。それは本当に僕自身、すごく驚いているところでもありまして、たくさんの方から、要は台湾が舞台で、主人公も主人公なのに、読んでいると、その日本の読者が読んでもノスタルジーを感じるというふうに言っていただけることがありまして、それは本当に人間の持つそういう過去を懐かしむ感情というか、ノスタルジーを感じる感情というのは、もしかしたら割と普遍的なものなんじゃないかというふうにすら感じています。 僕自身、アメリカの小説や南米の小説を読んで、僕自身その地には行ったことないんだけれども、良い小説を読んだときにはノスタルジーを感じることがよくありますので、もしも僕が書いたこの作品を日本の読者が、当然、日本の読者が読んでいただきたいんですけれども、ノスタルジーというものを感じていただけるのであれば、それは本当にうれしいことでありますし、ほんの少しだけでも自分の表現したかったものに近づけたのではないかというふうに思います。 司会:続いてご質問の方。じゃあ、はい。 産経新聞:産経新聞のヤマネです。おめでとうございます。 東山:ありがとうございます。 産経新聞:先ほど、翻訳ということがあったんですけども、ご自身で中国語に翻訳されて台湾で出版されるというようなことは、考えられないですか。 東山:僕の文章を僕が翻訳して、中国語にですか。僕はそこまで中国語の能力がないので、それは僕の手に余ることだと思っています。それはないです。 司会:はい。続いてご質問の方。じゃあ。 記者A:すいません。この物語を書き始めたのは、いずれおじいさまのお話を書きたかったからっていうので、最初の腕試しのつもりで、えいやって始まった。そしたら、腕試しどころじゃなくなってこの賞の受賞になりました。しかも初候補で、です。そのことについて今、感じていらっしゃることを教えてください。 東山:そうですね。候補になったこと自体、すごくびっくりしていますし、奇跡のようなことだと思っていまして、僕は小説を書く際にきちんとプロットを立ててそれから書くっていうタイプではなく、いくつかの場面が頭の中にひらめいて、それを直感でつないでいくというような書き方をしているので、料理にたとえると何も考えずに作った料理が、今みんなにおいしい、おいしいって言われてるような感じなんですね。で、もう一度同じ料理を作れと言われても、もう覚えてないんです。自分がどうやってその料理を作ったのか。 なので、今回候補に挙げてもらったことは本当に幸運なことだと思っていますし、さらにその上、賞まで取れたっていうことはもう本当に喜ばしいことだと思っています。それというのもたぶんもう、二度とこの場所には立つことができないっていうふうに自分で思っていましたので、本当にうれしいことだと思っております。 司会:はい。続いてご質問の方。じゃあ、一番端の方。 直木賞のすべて:インターネットで直木賞のすべてというサイトをやっている川口と申します。直木賞について東山さんが今までどういう印象というか、どういうイメージがあるものだと思っていらっしゃったのか。作家になる前、本当に小説が例えば好きで読んでた時代と、作家になったあと、その直木賞というものについて、印象なり考えなり、あったら教えていただけますか。 東山:はい。作家になる以前もなったあとも直木賞というのはおそらく、日本のエンターテインメント系の小説の中で最高峰の賞だという認識はまったく変わっておりませんで、今もそのように思っています。 司会:よろしいでしょうか。では、そろそろ。じゃあ。 記者B:先ほど、いずれはおじいさんの物語を書きたいという話をされてましたけれども、今回受賞したことでその物語に至る道っていうのは、ある程度見えてきた部分はあるんでしょうか。 東山:はい。さっきもちょっと言ったんですけれども、連続してこういう、自分の家族の物語を書くつもりは初め、まったくなかったんですが、候補になるっていうことが知らされまして、いろんな方のインタビューを受けたり、この作品についての話を繰り返ししていくうちに、図らずも漠然とこういう形にしたらいいんじゃないかっていうアイデアっていうのが浮かびまして、おそらく自分が思うより早く取り掛かることができるんじゃないかと今、思っていて、わくわくしているところです。 司会:よろしいでしょうか。そろそろ最後の質問にさせていただきますが、ほかにご質問がないでしょうか。すでに質問された方ばかりですが、ほかにございませんか。じゃあ、前の女性の方に。 記者C:すいません。この物語はおじいさんが、殺されたおじいさんが殺されてるところを発見した青年の、青春の物語なんですけれども、おじいさんの死の事件を立ち軸にして青春物語が広がっていくんですが、結局、国共内戦の過去につながっていくっていう、これ、たくらまずにその反戦小説と言いますか、戦争についての小説にもなっているんですが、東山さんの戦争とか、結局この戦争って誰か死ななきゃ、傷付かなきゃ終われないみたいなことを、も言ってらっしゃると思うんですけれど、それに対してのメッセージというか、アピールしたい点というのはございましょうか。 東山:そうですね。戦争について語るのは、僕にはその能力がないっていうふうに思います。この小説に関しても、要は僕が知ってる台湾っていうのは1960年代後半から1970年代なんですけれども、戦争の影が、今、振り返ると非常に感じられるということで、当時の台湾を表現するのにそれは避けて通れないということで書きました。なので、この作品を通して戦争とは何かとか、こうあるべきだとかっていうメッセージっていうのは僕自身はまったく持っておりませんで、それよりも主人公の成長物語、青春小説として読んでいただけるのが一番良いのではないかというふうに考えています。 司会:よろしいでしょうか。どうもありがとうございました。これにて、あ、最後に一言、もしありましたら。何か、もう付け加えることがなければ結構です。 東山:はい。小説っていうのはどんな小説でもそうだと思うんですけれども、作者が何を思ってどう読んでほしいかっていうのはまったく重要ではなくって、読み手が自分の人生のほうにちょっとずらして、自分のこととして読める小説というのがおそらく一番、読者的には幸せな小説だと思いますので、この小説は台湾を舞台にしているんですけれど、もし皆さんがそれを自分のこととしてちょっとだけずらして読むことができるんであれば、この小説が誕生したかいがあったというふうに思っております。もし良かったら読んでみてください。 司会:どうもありがとうございました。これにて第153回芥川賞・直木賞の受賞者記者会見を終了いたします。長時間どうもありがとうございました。お疲れまでございました。