「教育勅語」から「雪深い秋田」へ 安倍政権から菅政権への文化転換
もう一つの心の琴線
さて菅義偉は、自民党総裁選出馬表明において「雪深い秋田の農家」の出身と発言した。秋田を越後と読み替えれば田中角栄である。どちらも苦労人であり叩き上げである。角栄は、実業界でも政界でも若いときから頭角を現してコンピューターつきブルドーザーと呼ばれた、これ以上はないというほど「派手な」政治家であった。菅は、あちこちで働きながら大学で学び、政治家秘書、市会議員、国会議員と政界を歩きつづけてきた「地味な」政治家である。陽と陰、タイプは違うが、実力と人情によって人を惹きつけ事を成し遂げる力があるところは共通するようだ。 ここに日本人の「もう一つの心の琴線」が姿を現す。「雪深い北の国から上京した苦労人」というイメージである。演歌によく歌われるアレだ。2世3世あるいはエリート官僚出身の政治家が多い中で、このイメージは大きな特質である。菅政権は意外な人気を博するかもしれない。露出度が上がったためでもあるが、世論の評も急上昇したようだ。
大改革なら長期政権も
安倍政権の最大の問題点は、財務省官僚の「文書改竄」であった。官僚モラルの崩壊であった。自殺者も出た。本来、官僚は文書管理能力によって仕事をする者であるはずが、自ら改竄するというのは驚きである。国民は、社会保険庁が年金記録のデータを消失したこと、大阪地検特捜部が証拠を捏造したことにも驚いたが、財務省という日本官僚機構の本丸が腐っていたことには、強い危機を感じたに違いない。安倍政権の凋落はこの国民の危機感から始まった。 これも教育勅語的な精神の仲間主義からくる「国家的同調圧力」のなせる技であろう。つまり同じ精神の仲間に入らなければ、冷や飯を食わされるということだ。安倍政権の最大の強みが弱みに転じたのだといっていい。そこに長期政権の驕りがあった。 少なくとも菅政権は、この部分に距離を置くことが可能ではないか。政策の大部分は継承するとしても、心の部分までは継承できない。その代わりに登場するのが「雪深い秋田」という心である。 菅は「縦割り行政をぶち壊す」と発言した。自民党をぶち壊すといった小泉元総理を彷彿とさせる。問題は、内閣人事局の力によって生じる官僚モラルの崩壊を食い止めることができるかどうかである。とはいえ、もとの官僚主導に戻っては元も子もない。つまり政治主導時代の新しい官僚モラルを形成できればいいのである。来年秋までの暫定的な政権という見方が強いが、日本の行政システムを大改革するという旗を掲げて少しでも実現していくなら、いくら長期政権となっても構わないのだ。しかし簡単には進まないだろう。大きな抵抗と摩擦が予想される。それに耐えるだけの力があるだろうか。参謀型の政治家が表に出てうまくいくだろうか。よくいわれることだが菅政権に菅官房長官はいないのである。 とりあえずは秋田人の粘り強さに期待したい。冬にはコロナを忘れてゆっくりと「しょっつる鍋」でも囲みたいものだ。