<春に挑む・’22センバツ大分舞鶴>応援編/上 外部コーチ・土居弘治さん(49) 夢託し心技で後輩支え /大分
「今でもまだ夢見心地ですよ」。大分舞鶴野球部OBで、2013年から外部コーチを務める土居弘治さん(49)は、春の日差しで日焼けした顔をほころばせ、春夏通じて初の甲子園出場を決めた選手たちの快挙を喜んだ。 高校時代は外野手で3年の夏の県大会にも出場したが2回戦で敗れた。大学進学後は野球から離れ、地元の会社に就職した。05年ごろ、亡父が代表を務めていた少年野球チームの指導をするようになり、県大会などで優勝を飾った。それを知った大分舞鶴の野球部OBから「野球部を手伝ってくれ」と頼まれて、コーチに就任した。 職場はスーパーの関連会社で、早朝の市場で飲食店への納品業務の統括をするが、夕方にはほぼ毎日、同高グラウンドに通い、選手に打撃や守備の技術などを指導する。「選手が力をつけ、OBも喜んでくれる。日課のようなもので、肉体的なつらさはありません」 コーチ就任後2、3年は、公式戦で年に1回勝つのがやっとだった。それでも自分の話に耳を傾け、野球に一生懸命取り組む選手の姿に心を打たれ、猛暑の日も厳寒のオフシーズンもグラウンドに立った。指導にも熱が入った。 2時間の練習中はなるべく、声を出して明るく振る舞う。選手から「土居コーチ」と慕われ、練習で行き詰まると相談も受けるようになった。 現チームでは、遊撃手から三塁手にポジションを移る際に悩んでいた田中洸太郎選手(2年)に「サードは強い球が飛んでくる。球際に強くて思い切りの良い田中には向いているよ。大丈夫だよ」とアドバイスした。田中選手はその後、三塁手に定着。守備の迷いはなくなり、プレーに集中できるようになり、九州地区大会の大島(鹿児島)との1回戦では、三回無死三塁で中犠飛で貴重な1点目をたたき出した。 今のメンバーは1年生の時から指導していて、もがきながら少しずつ、成長をする姿をみていると自分もうれしくなる。18日の浦和学院(埼玉)との初戦は「大勢の観客の前で、大分舞鶴らしく力いっぱい戦ってほしい」。グランドで白球を追いかける選手を見ながらそう語った。【辻本知大】 ◇ 第94回選抜高校野球大会(毎日新聞社など主催)に出場する大分舞鶴を学校外から指導し、センバツに出場する選手たちの姿に喜び、活躍に期待する人たちを応援編として3回に分けて紹介します。