国民が熱狂した戦場の「物語」、醸成された国家との一体感…時代とともに進化したプロパガンダ
[戦後80年 昭和百年]開戦<下>
来年は戦後80年、昭和の始まりから100年目となる。いまだ戦火の絶えない世界の中で、1941年12月の開戦について考える。
「厭戦」恐れて宣伝工作
日本国民は一丸となって、米国との戦争を支持していたのだろうか。戦争とプロパガンダ(宣伝工作)を研究している京大教授の貴志俊彦さん(65)に戦前の国民が抱いていた感情について聞いた。
1941年12月8日、真珠湾攻撃で太平洋戦争が始まってから数か月間、陸海軍は大戦果を上げ、国民は熱狂しました。それでは、その前はどうだったのか。私は、すべての国民が団結して戦争を支持していたとは思わない。もし後世の私たちにそう見えるとしたら、開戦当初の興奮というフィルターを通しているからかもしれません。
確かに戦前の国民には、米国への憤りがたまっていた。米国は40年に対日制裁を始めます。在米日本資産を凍結し、石油の輸出も禁止し、日米交渉は難航します。ただ、米国に対する新聞の論調が厳しくなるのは41年11月ごろからで、まさに開戦の直前でした。
庶民は「もしかしたら米国と戦争になるのか」と思っていたでしょう。ただし、それ以上に「いいかげんに戦争はやめてほしい」と願っていたはずです。31年に満州事変、37年に日中戦争が起き、もう10年も戦っているのですから。
戦前は、現在のような世論調査の仕組みは整っていませんでしたが、国民の声をすくい取ろうとした調査はいくつか行われています。私は政府の広報宣伝機関・情報局が刊行していたグラフ雑誌「写真週報」などの第1回読者アンケートに注目しています。
太平洋戦争が始まる5か月前に35万枚の調査票を配布して実施したもので、「政府への希望」を聞いたところ、「経済」分野が47・3%、「政治」が27・5%なのに「軍事」は4%にとどまっていた。
詳しく答えを見ると、食料などの配給制度の改善や、闇取引の取り締まりなど、日々の暮らしにかかわる要望が突出しています。「一日も早く英米を打て」といった意見はわずかでした。