大阪桐蔭の「主将力」 礎を築いた歴代屈指の主将がコーチで復帰
3月18日開幕の第94回選抜高校野球大会に出場する大阪桐蔭に「歴代屈指の主将」がコーチに就任した。2014年夏の甲子園で優勝し、「主将力」が注目された中村誠さん(25)だ。社会人野球の選手を昨年限りで引退。母校の西谷浩一監督(52)から声をかけられ、指導者として戻った。中村さんは「母校で指導できると思っていなかったので、すごくありがたい。選手と一緒に成長していきたい」と第二の野球人生をスタートさせた。 17年センバツで優勝し、慶大でも主将を務めた福井章吾、18年の甲子園で春夏連覇を達成し、今年は早大の主将を務める中川卓也など近年、大阪桐蔭のキャプテンのリーダーシップが注目されている。西谷監督が「中村誠の頃から言われるようになった」と認めるように、「主将力」の礎を築いたのが中村さんだ。 福岡県出身。大阪桐蔭に入学した12年にチームは藤浪晋太郎(阪神)や森友哉(西武)を擁して春夏連覇を達成し、翌年も春夏の甲子園に出場した。その秋に主将に就任した中村さんは「普通にやれば、センバツに出られる」と楽観していたが、甘かった。秋季大阪大会4回戦でライバルの履正社に1―13で五回コールド負け。「主将を辞めて福岡に帰ろう」と思うほど打ちのめされた。 どん底からはい上がれたのは、西谷監督の一言があったからだ。「お前の思ったことがチームの意見になる。強い心を持ってどんどん指示を出せ」。周囲に気を使う性格だった中村さんは腹をくくった。ランニングや声出し、掃除や荷物運びなどすべて先陣を切って動いた。一方で、仲間にも厳しく接した。同学年には香月一也(巨人)、正随優弥(広島)のように後にプロに進んだ選手もいたが、「先輩と比べて、スター選手がいなかったので、チーム力で勝つしかなかった」。束になって戦う集団になり、14年の春季大阪大会から、中村さんが優勝を決める一打を放った夏の甲子園決勝まで公式戦24連勝を果たした。 進学した日体大では指導者になることを見据えて、保健体育の教員免許を取得。指導者になる上で大きな財産になったのは、社会人野球の日本製鉄かずさマジック(千葉県君津市)に在籍した3年間だ。 元々は外野手だが、1年目は内野手に挑戦。オフには捕手への転向を打診された。捕手経験は「中学の最初まで」だったため、西谷監督に相談した。捕手出身の恩師は「無理やろ」と一度は電話を切ったが、一晩考えて中村さんに連絡した。「将来、指導者になった時、内野の話も捕手の話もできる。こんなにいい経験はできない」と勧めた。 捕手に挑戦した中村さんはレギュラーの座をつかめず、勝負の3年目と位置づけた昨年も結果を残せなかったため、現役を引退した。だが、悔いはない。「捕手としてサインプレーで内野を動かし、配球で守備位置を変えるなど野球観が広がった」と感謝する。 3月からコーチ兼寮監として母校で指導している。まず始めたのは約40人いる部員の顔と名前を一致させることだ。「『1週間で覚えるから、寮で名札をつけてほしい』と頼んだ。そう言えば、僕も絶対に覚えないといけない」と笑う。自身を追い込んで必死に取り組む姿は高校時代と変わらない。高校野球をけん引する大阪桐蔭で歴代でも指折りの主将が今度は指導者としてどう選手に向き合うのか。 中村さんは言う。「人とのつながりがあって今、僕はここにいる。技術を教えるのはもちろんだが、社会に出たらメンバー、メンバー外は関係ない。社会に通じる人間を育てるために僕も一緒に常に学びたい」。指導者としての信念だ。【安田光高】 ◇全31試合をライブ中継 公式サイト「センバツLIVE!」(https://mainichi.jp/koshien/senbatsu/2022)では大会期間中、全31試合を動画中継します。また、「スポーツナビ」(https://baseball.yahoo.co.jp/senbatsu/)でも展開します。