【エンパイアステートビルから出店のオファーを受けた日本人が語る】ニューヨークで知ったチャレンジ精神とチップ文化の意義
「エンパイアステートビル」といえば、まさにニューヨークの象徴です。その1階に今年の秋、寿司店を出す日本人がいます。笠木恵介さん(37歳)です。私は、笠木さんが大学院生の頃、一緒に仕事をしたことがあるのですが、その後、ニューヨークに勇躍して、寿司バーや居酒屋で大成功していると聞き、今回訪ねてみることにしました。 「エンパイアステートビルからオファーがあった時は、『おぉ、あそこから来たか』と、胸がざわつきましたね。きっかけになったのは、マンハッタンのローワー・イーストサイドで、気軽に寿司と日本酒が楽しめるバー『Gouie(グィ)』を2021年10月にオープンさせたことです。 『グィ』というのは、日本酒を『ぐぃ』っと飲んでほしいという意味を込めています。僕自身が、寿司を一貫からでも注文できて、日本酒が飲めるお店があったらいいなと思って出店しました。おかげさまで大人気となり、エンパイアステートビルからのオファーにつながりました」 北海道出身の笠木さんは、慶應義塾大学の大学院で「地域の食」について研究しました。 「南島原の素麺についてのマーケティング研究などを主にしていたのですが、地域課題を解決するために『奨学米』という仕組みをつくりました。お金ではなく、農家と学生の接点をつくることを目的に、農家からおコメをもらい、その代わりに若者がお手伝いに行くというものです」 私が笠木さんに出会ったのもこの頃で、農家と消費者をつなぐ「農園レストラン」を立ち上げる時に一緒に仕事をしていました。「奨学米」の運営をするための会社を興した笠木さんですが、その後は一転して就職をします。 「やはり一度、会社員経験をしておいた方が良いと考えて、ぐるなびに就職しました。日本全国を回る機会を得て、地域の特色や課題を改めて知ることができました。その後、おコメを輸出する会社に転職して、それがニューヨークに来るきっかけになりました」 コメ輸出会社の北米担当となった笠木さんは、「ニューヨークで働きたいなんて思ったことはありませんでした。オニギリ屋をオープンする目的でニューヨークに来たものの計算上、ビジネスとして成立させることが難しいと判断しオニギリ屋は実現していません。転機になったのは、ブルックリンで毎週行われる『Smorgasburg(スモーガスバーグ)』というフード屋台イベントで18年『カツサンド』を出したことでした。これが大いに評判を呼んで、毎週2000人規模の人が集う屋外クラブから出店のオファーが来て、ラーメンやハンバーガーを出したところ、こちらも上手く行きました」 この勢いに乗ってプロデュースしたのが「Dr.クラーク」です。北海道出身の笠木さんは、同郷の金山さんという方とローワーイーストサイドの有名人デビットと念願のジンギスカン料理店を始めたのです。 「歴史あるカラオケバーだった場所を改装して始めました。ところが20年3月16日ちょうどグランドオープンパーティーの最中に、ニューヨーク市で新型コロナウイルスの影響により、ロックダウンが発表されました。7月からは屋外での食事が解禁されて、店の前で屋外カラオケをすると、これも大変ウケたのですが、即座に市当局からNGが入りました。屋外テーブルでジンギスカンをすることは可能だったので、冬に向けて掘りゴタツを設置して営業を続けました。そんな時、ある男性のお客様がジンギスカンとシメとして焼きうどんを食べる様子をTikTokにアップしてくれたのです。 これがバイラルとなって多くの人に来店してもらうことができました。ロックダウンの最中は、皆ちょっとでも外に出て楽しみたいという欲求が高まっていたので、僕たちにとってはむしろチャンスになりました」