無名芸人なすび「私は馬鹿になることを決めました」…裸一つ、懸賞だけで生き延びた1年2か月
目隠しを外すと、6畳一間のアパートだった。ちゃぶ台に、はがきが積まれ、ラックには雑誌が並んでいた。「いったい何をやらされるんだ」 【写真】普通だと思っていたのに…売れた「相方」
1998年1月、型破りな企画で人気のテレビ番組「電波少年」で新コーナーが始まった。挑戦者に選ばれたのが無名のお笑い芸人、なすびさん(49)=当時22歳=。
テーマが明かされる。「人は懸賞だけで生きられるのか」。食料も着る物も当選して入手しろという。裸になるよう命じられ、こう告げられた。「テスト企画だから、放送されるかどうかもわからない」
雑誌をめくり、懸賞を探す。200枚のはがきにペンを走らせる日々。その姿が毎週放映され、人気者になるなんて思ってもいなかった。もちろん、孤独な極限生活が1年2か月超に及ぶことも、知らない。(社会部 押田健太)
大雪が降った1998年1月15日、東京都内のビルで、日本テレビの人気バラエティー番組「電波少年」のオーディションが行われていた。集まったお笑い芸人20人ほどの中に、なすびさん(49)もいた。
「運だけが必要な企画だから、これで出演者を決めます」。差し出された抽選箱から順番に三角くじを取っていき、一斉に開く。当たりの文字が見えた瞬間、「奇跡が起きた」と思った。
国内外の著名な政治家や芸能人を「アポなし」で直撃し、海外をヒッチハイクで巡る。過激な企画で人気だった番組への出演は、有名になる大チャンスだった。
ドッグフードで飢えしのぎ、コメ当たり「当選の舞い」
新企画の内容は雑誌やラジオの懸賞に応募し、当てた賞品で暮らす「懸賞生活」。放送されないかもしれないと言われたが、スタッフに顔を売れればいいと思っていた。
当選品の総額が100万円に達したら、部屋を出られるルール。簡易型携帯電話(PHS)は取り上げられ、外部との接触は禁じられた。精神状態を確かめるため毎日、日記を書くよう指示された。
〈私は馬鹿(ばか)になることを心に決めました〉。朝、ビデオカメラのスイッチを入れ、黙々とはがきに向かう。初当選は半月後。届いたゼリーの詰め合わせに喜びを爆発させた。〈生きてきた中で一番うれしい〉