無名芸人なすび「私は馬鹿になることを決めました」…裸一つ、懸賞だけで生き延びた1年2か月
「不信感しかなかった」。バラエティーの神様とまで思っていた土屋さんと距離を置いた。舞台を中心に活動を始め、2002年には仲間と劇団「なす我儘(がまま)」を旗揚げ。福島県のテレビ局で旅番組を持たせてもらい、全59市町村をロケで回った。どこに行っても「応援している」と声をかけられ、「古里って特別な場所なんだな」と実感した。
11年3月、仕事で千葉県にいた時、激しい揺れに襲われた。東日本大震災だった。生まれ育った地は原発事故にも見舞われた。ボランティアで役者仲間と福島県いわき市を訪ねたのは、1か月半後。一変した景色を前に、「自分にできることなんてあるのか」とうちひしがれた。
ロケでお世話になった海辺の食堂は、津波で流されて跡形もない。店主の女性が暮らす避難所を訪ねた。「来てくれて、ありがとう」と抱きつかれ、「自分も笑顔や元気を生み出せる。一生かけて福島に関わろう」と思い直した。
ボランティアで何度も訪れ、風評被害払拭(ふっしょく)のための活動を始めた。ある時、被災者に言われた。「福島のため、なすびさんしかできないことをやってほしい」。考え抜いた末、たどりついたのが世界最高峰、エベレスト(8848メートル)への挑戦だった。
「登山の素人の僕が奇跡を成し遂げれば、原発事故からの再生や大震災からの復興という未知なる挑戦への力になるはずだと思った」
登山隊を率いる国際山岳ガイドの近藤謙司さん(62)に協力してもらい、ネパールや国内で登山経験を重ねた。エベレスト登頂に必要な700万円の半分は、借金して用意した。
エベレストの頂から「福島は絶対に復興します」
頂上まであと数時間だった。8700メートル地点にたどりついたが、酸素ボンベの残量が足りない。13年春の初挑戦は、途中で引き返さざるを得なかった。ふがいなさに、むせび泣いた。「売名行為」。インターネットでたたかれても、めげなかった。
再挑戦のため、ネットで寄付を募るクラウドファンディング(CF)で費用の調達を始めた。集まりが悪く、600万円の目標額の達成は難しいと思われた。その時、救世主が現れた。