シリーズ『ストーリーズ・輪島港』30歳の”釣り船”船長 営業再開の直後に襲った豪雨 変わりゆく”ふるさと”への思いと葛藤
地震で一変した輪島港
ここで、記者は輪島港の現状を見せてもらった。去年まではたくさんの漁師たちで活気に溢れていた輪島港だが、今いるのは復旧作業を行う工事業者。県内最大の水揚げを誇っていた輪島港は、地震で一変してしまった。 海底は2メートル隆起し、製氷施設なども被災。製氷施設の利用には現在時間制限が設けられており、震災以前のように利用することは未だ出来ない。約200隻ある漁船は、今も漁を再開できていない状況にある。 海女の素潜り漁はモズクのみ。メインのアワビ、サザエは断念した。 漁師や海女たちは、国からの委託で舳倉島の清掃や海底調査を行いながら、漁の再開を待つ日々を送っている。山中さんも船を出せない間は、その仕事を手伝ってきた。 この経験を山中さんはポジティブに捉えている。 山中船長: 自分たち団体としては大きくないので、漁師たちと面と向かって何かすることが無かったので、みんなと触れ合う機会にもなりましたし、みんなで助け合いながら仕事していく中で本当にいい人ばっかりですごく感謝。 自分にとってはプラスになったかな。自分のことも知ってもらえたかなとか。 人の繋がりは増えたのでそういった面は本当にすごく良かったのかなと。
豪雨により再び一変してしまう輪島
しかし、釣り船を再開して1週間後、奥能登を豪雨が襲った。 輪島港近くの塚田川では住宅が流され、4人が行方不明に。 9月29日には、海女や漁師たちは船を出し行方不明者の捜索に協力した。そこには諏訪丸を操縦する山中さんの姿もあった。 山中船長: だいぶ塚田川からこっちの方に来てる。こんな捜索はなかなか無いですね。 自分たちも妻も幼少期は久手川町の団地に住んでたから…流された家とか全部知ってる。 大切な場所がまた、自然の猛威によって一変してしまった。この日は波が荒く、およそ2時間で捜索は終了した。
災害で居場所を奪われる子どもたち
今回の豪雨は、山中さんの家族にも影響を与えている。 公園で遊ぶ山中さんの娘さんは、空咳を繰り返していた。大雨の後から、こういった咳が続いているという。 山中船長: 自分も出るんですが…スッキリしないというか。 咳の原因は、町に流れ込んだ泥が乾いた後の粉じんだ。 この粉じんは、子どもたちの幼稚園行事にも影響を与えている。 山中船長: 10月5日に(上の子は)園最後の運動会が控えてて。楽しみしてたんですけど…この水害で中止。決定です。この砂ぼこりで外で練習もさせてあげられないっていうのが先生たちの判断で。 山中さんの語りから、歯がゆい思いを感じた。子育てがしにくくなっているかとたずねると… 山中船長: 子供にとってはちょっと住みにくい環境にはなってますね。 妻・静佳さん: もう毎週何すればいいんやろって、子供らになにさせようって… 山中船長: 雨降ったら地獄だよね。 静佳さん: うん… 日常を取り戻そうとしていた矢先の豪雨。 山中船長: 地震や水害がある前は子供育てるには、自然で遊ばせるの好きやったんで。めちゃくちゃ輪島って自然が揃ってるし、いい所だなって思ってたんですけど…自然災害っていうのにやられて、本当に何も無いんですよね。 山中船長: 船のことで色々大変ですけど家庭でも大変…現状子供たちにとってプラスのことって無いと思う 仕事も子育ても以前のようにできなくなってしまった。そして何より、子供たちが何の心配もなく遊ぶことができる場所が、なくなってしまっている。 船の営業は再開できたとしても、自然災害が続く中、このまま輪島で子どもを育てていいのか。子育て世帯の葛藤は続いている。 (石川テレビ)
石川テレビ