『極悪女王』長与千種×白石和彌が語る。試合もプロレス技も演じたキャストたちは「毎日が戦いだった」
1970~80年代の空気感、盛り上がりをどのように再現したのか
―今作の1970~80年代のつくりこみにも相当な徹底ぶりを感じましたが、白石監督はそのビジュアルや空気感をどのように形成していったのでしょうか? 白石:大きく寄与したのは美術、あと衣装とヘアスタイル。美術監督の今村力さんは、長与さんの映画デビュー作『リング・リング・リング 涙のチャンピオンベルト』(1993)でも美術を担当されていて。そこで彼は『極悪女王』で描いた時代の少しあとの全女(全日本女子プロレス)の事務所や道場を見ていたので、当時のビジュアルや空気感の形成は今村さんにかなり助けてもらいました。 かつ、俳優たちによるものも大きい。彼女たちは「Marvelous(マーベラス)」(長与が設立した女子プロレス団体)でドラマのためのプロレス練習をしていたというより、ほぼ入門に近いかたちでプロレスを教えてもらっていたんですよ。 長与さんから当時の話をいろいろと教えてもらっていたので、その環境が自然と当時の空気を醸成していたんだと思いますね。 ―Marvelousで練習するうち、試合シーンの撮影がある際に「撮影に行ってくる」ではなく「試合に行ってくる」という会話を俳優同士でしていた、とゆりやんさんも語っていました。全員がそれくらい本気で入り込んでいたことが当時の空気感をつくったというのは何となくわかります。 白石:試合シーンに出ていない俳優は、だいたいセコンドにつくんですよ。そこで彼女たちは試合シーンを撮影している俳優に水を渡したり汗を拭いたり、本当にセコンド業をするんです。自分が試合する時にもサポートしてもらわなきゃいけないから。そこのチームワークがめちゃくちゃよくできていましたね。 ―完全に本物じゃないですか。 白石:撮影日の朝に体育館に行くと、リング屋さんが組み立てを始めていて、リングができるとみんながウォームアップをするんです。それで少しすると「ぼちぼちお客さん入れます」ってエキストラの皆さんも入ってきて。その流れも本物みたいでしたね。そして長与さんは、そこでお客さんに挨拶して気合を入れてくれました。 長与:当時の試合をもう一度再現するためには、お客様の熱量が絶対に必要だったんです。あの当時のプロレスというのは我々クラッシュと極悪同盟(編注:ダンプ松本が率いたヒール軍団)、そしてレフェリーの三角関係ではなく、それをすさまじい熱量で応援してくれている主に女の子のファンたちも加えた四角の絶妙な関係でできていましたから。 お客様の熱気ある声が加わると、俳優……というか選手のみんなも試合にグッと入り込んでいけるかなと。 そのちょっとしたお手伝いをさせていただきました。