舞台上のカミングアウト 新宿2丁目で堂々と生きる彼らがくれた勇気と希望
壁にかかる若き日の肖像は縦40センチ横30センチくらいで、正面を向くことを拒んでいるかのように見える。傷つきやすく多感な、若者独特の匂いを漂わせる写真だ。全体的にブルーを帯びた色調は、まるで当時の彼の心の色を反映したかの様だ。 目の前にはそれから数十年の時を経た、青山吉良(あおやまきら)さんが座っていた。歳月は過ぎたが、表情や視線は多感だった当時の色をそのままに残している。
「現在67歳ですが、区役所から『独居老人の方へ』という便りが届くようになりました」 そう話しながら少し顔をほころばせる。実年齢よりも随分と若く見えるのは、職業が俳優という所以なのだろうか。 「近所にはゲイの友人達が住んでいるんです。独居老人にも関わらずどこか安心して楽しく暮らしていけるのは、彼らのおかげだと思っています」
1970年代に台頭期の小劇場運動の新しい波を真っ向から浴びながら俳優修業を開始した。早稲田小劇場、故・観世寿夫(かんぜひさお)氏と共演の冥の会公演『メディア』、仮面劇の横浜ボートシアター、D.ルボー演出の『あわれ彼女は娼婦』、そして本木雅弘氏と姉妹役を演じた『女中たち』など、これまでに個性的で多彩な舞台で活躍してきた。21世紀に入ってからはゲイとしての表現を発信していきたいとカミングアウト。以後、ドラァグショーへの出演、演劇ユニット『D.O.G.』(Dangerous Old Gays)の旗揚げ、個人のパフォーマンスプロジェクト『Kira’s Cabaret』で初の演出を試みるなど、その活動は多岐にわたる。
千葉県松戸市に生まれ育った。東京の下町育ちで歌舞伎好きの祖母、観劇会等のお芝居の招待券がよく届く衣料品店を営む両親など、幼い頃から演劇や映画に囲まれて育った。女の子と遊ぶことが多かった少年は、小学校に上がるとその優しい容貌も相まって『シスターボーイ』とからかわれるようになる。子ども達の目は残酷で、自分達と違うものに容赦はなかった。青山少年が厳しい日常から離れて自由になれるのは芝居を観ているときだけだった。 「初めて自分でチケットを買って観に行った舞台は『マイ・フェア・レディ』の日本初演で13歳でした。いっぺんでミュージカルに夢中になりました。現実を忘れさせてくれる舞台の中でも、ミュージカルは最強だったのです」