舞台上のカミングアウト 新宿2丁目で堂々と生きる彼らがくれた勇気と希望
少年はいつしか青年となり、当時俳優養成所が大学になったばかりの桐朋学園演劇科に進んだ。現実から逃げ込むためのものだった舞台は、自分との戦いの場に変わっていった。在学中に初主演をした舞台『ブリタニクス』は話題となった。暴君・ネロを演じ、クライマックスではネロの葛藤を胎児のようにうずくまることで表現した。ネロの抑圧と自身が抱える社会的抑圧が重なり、青山さんの中で取り憑かれたかのような演技として爆発したのだ。
青山さんが20代だった当時、同性愛者であることはまだまだ世の中のタブーだった。それがバレるのは、俳優として有名になり世の中に認めらるのを諦めるようなものでもあった。世間に知られてはいけない。舞台俳優となった後も、舞台上で役を演じると共に、公共の場では異性愛者である自分を演じ続ける日々が続いた。しかし青山さんには若さと情熱があった。そして俳優になれば世の中の因習には従わなくてもいいという確信もあった。 それでも固い仕事につかないとなれば当然周りからいい顔はされなかった。20代、30代を通して舞台俳優としてキャリアを重ねていくのとは対照的に、私生活では安定したパートナーシップを持たない日々が続いた。
いつのまにかプライベートでは孤独の淵にいる自分に気がついた。時は90年代。ゲイに対する世間の対応にも少しづつ変化が生じてきていた。そんな時、偶然目にしたのは週刊誌に掲載されていた芸術家・大塚隆史さんによる新宿2丁目を紹介した記事だった。興味はあれど、俳優としての自分をうわさから守るために避け続けてきた場所。しかしいつまでも同じことばかり繰り返しても周囲や自分の状況が変わることはない。大塚さんの記事に触発され、意を決してゲイタウンに足を踏み入れた青山さんはすでに40代に入っていた。 いくつかのバーを巡り、やがて大塚さんの経営するバーへとたどり着いた。そこで出会った画家や詩人、歌手、イラストレーター達は皆、ゲイとしての自分を踏まえた上で表現活動を行っていた。何よりも彼らは自分自身のことを認めて堂々としていた。そんな彼らに出会えたことで、青山さんに気持ちにも変化が訪れる。自分も全てをさらけ出し、ゲイとして表現を発信してみたいと思うようになったのだ。